ナゴルノ・カラバフ Nagorniy Karabakh

概要

アゼルバイジャンの西部にある地域。
アルメニア人が多く居住しており、隣国アルメニアとアゼルバイジャンの対立の火種となっている。

ソ連崩壊後はアルメニアへの合流を求めてナゴルノ・カラバフ自治州はナゴルノ・カラバフ共和国(アルツァフ共和国)として1991年9月2日に独立宣言を発し、現在も独立状態を保っている。しかし、ほとんどの国は承認していない。

1987年から1988年にかけて、ナゴルノ・カラバフに住むアルメニア人によってアゼルバイジャン人排斥運動が起こった。それによって、多くのアゼルバイジャン人が同地から去り、アゼルバイジャン各地に難民となって移動していった。

アゼルバイジャンでもアルメニア人排斥運動が起こり、両国の対立が激しくなっていった。
1990年1月20日、ソ連はアルメニア人保護を名目にソ連軍をバクーに侵攻させ、約200人のアゼルバイジャン人を殺害するという、黒い1月事件が起こった。バクーの殉教者の小道で祀られていた人々はそのときの犠牲者である。

1994年、ロシアの仲介で両国は停戦に合意しましたが、現在でも根本的解決にはいたっていない。
こういった両国の関係で、現在、アゼルバイジャンからアルメニアには直接は行けない状態が続いている。
外国人旅行者も、アゼルバイジャンからはグルジアに入り、その後アルメニアに行くことになる。

















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