マウルブロン Maulbronn
バーデン・ヴュルテンベルク州
人口:約6800人
概要
マウルブロンは1147年にシトー派の修道士たちが修道院を設けたことで生まれた町である。
16世紀になると、修道院の近くにマウルブロン村が成立し、やがて1886年、都市に昇格した。
修道院はこの地域の経済、社会、政治の中心として建てられた。
マウルブロンを取りまく壁や塔の内側は、それ自体が完成した小さな世界を形成している。
13世紀には礼拝堂、診療所、食堂、穀物倉庫、玄関ホール 、集会場、南の回廊、鍛冶場、ゲストハウス、農舎や居住、製粉所、パン工場といった様々な建屋が増築された。修道院だけで一つの町のようなものになっているのが特徴である。
単なる祈りの場ではなく、かなり大規模なコミュニティーを維持するだけの機能を備えていた。修道院の中にも木組みの建物などが多く見られる。
宗教改革以後には神学校が併設された。(1538年)
かつてこの神学校には天文学者のヨハネス・ケプラーや作家のヘルマン・ヘッセも通っていた。
もっとも、ヘッセは戒律の厳しさに半年で逃げ出してしまったという。
ヘッセの自伝的な小説「車輪の下」の舞台になっていることで知られる。
保存状態が非常に良く、1972年ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
このマウルブロン修道院の修道士によって生み出された食べ物がある。
郷土料理となっている「マウルタッシェ」Maultascheだ。ドイツ版の餃子の様であり、イタリアのラビオリに似ている。
肉を食べてはいけない四旬節の40日間に、修道士たちがなんとかして肉が食べられないものかと考え、小麦粉で作った生地に肉を包みこんで食べたという。
修道院内のレストランでも食べることができる。
マウルブロン修道院 Kloster Maulbronn
ドイツ最初のシトー派修道院のーつであり、アルプス以北で最も完全な形で保存されている修道院で、中世の建築文化を象徴する建造物である。
建設は1147年に始まり、1178年に献堂式が行われ、マリアを奉る3つの本堂を持つロマネスク様式の教会となっている。祭壇にある聖歌隊の席は樫の木で作られ、華やかな飾りが施されている。
13世紀初頭、ロマネスクからゴシックへの移行時期の様式で造られたホールが増築された。ホールは、2重の広いアーチによって中庭に向かって開放されている。
内部では、身廊と右側廊の網状ボールトは15世紀に付け加えられたものであり、もともとのロマネスク様式の調和を乱している。 10の張り間をもつ身廊は、歯状装飾フリーズのついた非常に純粋なロマネスク様式の仕切りで二つの部分に分けられている。神父たちの席と修道士たちの席である。仕切りの前に、1473年の大きなキリスト像が立っている。
十字交差部の西向きの礼拝室は、最初に建てられた聖堂の名残である。主祭壇の左側、14世紀の美しい聖母像に注目。
中庭は今でも防護壁と塔、修道士たちの食堂Laienrefektoriumや食糧やワインの貯蔵室Vorratskellerの建物によって囲まれている。
手洗いの泉 Brunnenkapelleがある。 1350年頃に建てられたもので、四葉の装飾アーチがあり、中庭に突き出ている。
1556年、修道院はプロテスタント教会付属神学校に変っている。
マウルブロンへのアクセス
フランクフルト中央駅Frankfurt(Main)Hbfから特急ICEでカールスルーエ中央駅Karlsruhe Hbfへ1時間10分。
ほぼ90分間隔
乗り換えて、ストゥットガルトStuttgart方面行き普通列車REでミュールアッカーMuhlackerへ、32分。
ほぼ1時間間隔。ミュールアッカーは特急ICは停車しない。
ミュールアッカー Muehlacker駅前のバスターミナルから700番のバスに乗車。
乗車券は車内で運転手から購入する。
(運転手にマウルブロン修道院 Kloster Maulbronnに行くかを確認すること)
マウルブロンの町まで約15分,
バス停から町までは少し歩く。
バスはほぼ1時間間隔