ニュルンベルク Nurnberg

バイエルン州
人口:約52万人

ニュルンベルク地図

概要

ミュンヘンの北約150kmあまりに位置し、ミュンヘンに次ぐバイエルン州で2番目に大きな町で、活気に満ちあふれている。
第二次世界大戦で受けた被害も今ではすっかり修復され、中世の面影が強く残る美しい街となっていて、バイエルンでも人気の観光地となっており、夏季のシーズンだけでなく、クリスマス市が開催される時期になると、さらに旅行者が押し寄せてくる。

周囲5kmあまりを城壁に囲まれでいる。
中世、15世紀から16世紀にかけては重要な交易ルートの交差する中継地として繁栄していた。

もともと貴族が銀食器を使っていた時代に一般庶民が使う錫の食器の製作をしていた職人が集まっていた。
現在でも旧市街に職人が集まっていた職人広場が残されている。
やがて陶器の普及で錫の需要がなくなり、職人たちはブリキおもちゃ製作をするようになったのが始まり。
20世紀初めにはブリキおもちゃの工房は300以上もあった。
現在も世界的に有名な老舗のおもちゃ・模型メーカーが残り、模型ファンあこがれの町となっている。

ここはドイツで一番最初に鉄道が開通した地でもあり、古いSLを沢山収集している博物館も知られる。
豊かな町には芸術家も集まっていた。
画家として世界に知られたアルブレヒト・デューラーやハンス・ザックスなど、その美しさに魅了されこの街で活躍した芸術家は数え切れないほどであった。
ワーグナーの歌劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の題材にもなっている。

20世紀に入ると、ニュルンベルクの町は今までの穏やかな繁栄から一変する。
ヒットラーがお気に入りだったニュルンベルグでは、ナチスの党大会は1933年以降毎年開催されていた。
旧ドイツ帝国ナチス党はこの地で毎年9月に催す全国大会を催し、1935年ユダヤ人の商業活動へのボイコットがおこり、ユダヤ人の市民権を剥奪するという反ユダヤ法のニュルンベルク法が制定された。
以後、戦争への歩みを進めていくナチスにとってこの町は国威発揚の舞台ともなっていった。

1945年1月2日、連合軍側の爆撃により町の約90%が壊滅し瓦礫の山と化し、6000人の市民のが命を落とした。
そして連合国がナチ体制の責任者たちを裁くために組織した国際裁判いわゆるニュルンベルク裁判の場として選ばれたのもこの町であった。

今日では隣接するフュルトFurthの町とあわせて、南ドイツの主要な工業都市のひとつで、主に工作機械、電気器具、事務用品、玩具などを生産している。
そのため、おもちゃの見本市など世界的に有名な国際見本市が多く催されているところとなっている。

主な見どころは、旧市街に集中している。
中央駅前の城壁から入ると、歩行者専用のケーニヒ通りが町の中心を通っており、浅いペクニッツ川Pegnitzが東から西へ流れている。
-この町には博物館・美術館も多く、とりわけ、鉄道博物館や玩具博物館は人気の高いところとなっている。

また、中心地から南東約4kmにあるナチス党大会会場跡地や資料館なども見学したいところだ。
ナチスの狂信的支持者たちが、ひざを伸ばして行進し、軍隊の総統に敬礼する姿をとそれを一目見ようと群集の光景を想像してみるといい。

ニュルンベルグの近郊をマイン・ドナウ運河ができており、リバークルーズの中継地ともなっている。

ニュルンベルクへのアクセス

空路

おもに、欧州内の国際線と国内線。
日本からの直行便はなく、欧州内での乗継となる。寄港地によっては鉄道で接続した方が便利だ。
各都市とも接続できる便が多くない。
クリスマス市の時期以外は、ビジネス利用が中心で、週末は極端に便数が少ない。

空港

ニュルンベルク空港Flughafen Nurnberg(コード:NUE)
中心地から北へ7kmの場所にある。
空港駅とニュルンベルグ中央駅間に地下鉄U2が通っており、12分間、ほぼ15分間隔
(週末は運転間隔が大きい)

鉄道

ミュンヘン中央駅Munchen Hbf.からニュルンベルグ中央駅Nurunberg Hbf.まで特急ICEで約1時間。30分間隔。在来線の快速・普通列車は約1時間50分。ほぼ1時間間隔。
フランクフルト空港駅Frankhurt Flughafenからニュルンベルグ中央駅Nurunberg Hbf.まで特急ICEで約2時間20分。1時間間隔。フランクフルト中央駅Frankhurt Hbf.からは2時間5分となる。
日本からニュルンベルグへ直行する場合には、どちらも所要時間は変わらないが、空港内で接続しているフランクフルトの方が便利だ。
ニュルンベルグ中央駅は旧市街地を囲む城壁に接している。駅前広場を挟んで城壁と門がある。

ニュルンベルク市内の交通機関

ニュルンベルクの交通機関は、
近郊列車 S Bahn
地下鉄 U Bahn
トラム Tram
バス Bus
とある。

ニュルンベルクの交通運賃は共通化されており、 ニュルンベルク内を移動する際の運賃は統一料金システムとなっている。
隣接する近郊へは、Zone制となっている。

近郊列車 S Bahn
ニュルンベルク中央駅を中心に東西南北に4路線(S1~S4)運行されている。

地下鉄 U Bahn
ニュルンベルク中央駅を中心に3路線(S1~S4)運行されている。
自動運転車両が世界で初めて採用されている。

トラム Tram
すべて低床車両でニュルンベルク中央駅を中心に5路線を運行されている。

バス Bus
Uバーン、Sバーン、市電が運行していない地域を51路線で結んでいる。

チケットの種類

チケットはS Bahn、U Bahn、SSBが運行するバスで共通となっている。
旅行者は1日券を購入しておくと、どんな乗り物で、どこへ行くにも便利だ。

1回券 (1 way ticket)
片道切符。

4回券 (4 ways ticket)
片道切符の4枚セット。

1日券 (1 day ticket)
1日乗り放題券。大人・子供問わず1人に有効。

グループ1日券 (Group 1 day ticket)
グループで1日乗り放題で、最大6人まで有効。

グループ7日券 (Group 7day ticket)
グループで7日乗り放題で、最大6人まで有効。

チケット購入の手順

S Bahn、地下鉄、トラムの各駅には券売機がある。
一部の主要駅では有人チケットカウンターがある。
券売機はほとんど現金不可、クレジットカードだけ。VISAかMasterだけ。
券売機には英語にも対応している。タッチパネル式。
1.言語の選択。イギリス国旗を選択。
2.チケットの種類を選択。1日券のチケットは Days ticketボタンを押す。
3.次の画面では、1人か複数(グループ)かを聞かれる。
4.移動するエリア (Zone)を聞かれる。市内だけなら上段を押す。
5.チケットを使用する日を入力する。
6.使用する人の名前を入力する。入力したらOKボタンを押す。
7.画面右上に運賃が表示される。カード挿入口へカードを入れる。

ニュルンベルク旧市街

駅前から城壁に囲まれた旧市街の多くのエリアが歩行者専用の道となっており、おしゃれな商店が横町の雰囲気の中で軒を連ねる。
中央広場には日曜祭日以外の毎日青空市が開かれている。
職人広場周辺は様々の種類のミニチュア玩具の店がある。ドイツ人はミニチュア玩具が特に好きだ。

ニュルンベルクのクリスマス市

11月最後の金曜日から大晦日まで、マルクト広場は有名なクリスマス市となる。
ドイツの主要都市では同様の市が開催されているが、ニュルンベルグの市が最もにぎやかなものとの評判で、毎年日本をはじめ各国から観光客が訪れている。
http://www.christkindlesmarkt.de

ニュルンベルクの見どころ

中央広場・美しの泉 Hauptmarkt und Schoner brunnen

クリスマス市が開かれる中央広場、旧市街の中心。
その広場の中央には、40もの彫刻が施された荘厳かつ華やかな噴水、美しの泉 Hauptmarkt und Sconer Brunnen がある。
高さ19mのピラミッド型の頂上にモーゼと預言者たちがあり、その下に7人の選帝侯と9人の英雄が立っている。3人は古代の英雄、3人はユダヤ人、3人はキリスト教徒の英雄たちである。
正面にある小さな金の輪を3度まわすと願いがかなうといわれており、訪れる人は後を絶たない。

旧市庁舎

中央広場の北の市庁舎広場Rathausplatzに立っている。
かなり大きな建物で、内装は素晴らしいルネサンス様式だ。
旧市庁舎内には、恐ろしい地下牢Lochgefangnisseがある。ここはガイド付ツアー(30分ごと)でのみ見学ができる。

聖ゼバドゥルス教会 Sebalduskirche

ニュルンベルクで一番古い、13世紀の建物。

アルブレヒト・デューラー広場Albrecht-Durer-Platz

アルブレヒト・デューラー像Albrecht Durer Monumentが立つ。
像の下には4階建ての地下建物フェルゼンゲンゲがある。
14世紀に、砂岩を掘り進み、醸造所やビール貯蔵庫とした建物で、第二次世界大戦中は防空壕としての役割も果たした。

デューラーハウス Durerhaus

切妻造りのこの市民の屋敷(15世紀)は、城壁のすぐ内側にある。
デューラーは1509年にこの家を購入し、その死(1528年)まで住んだ。
3階の木彫8点を除いて、すべて模作である。

ピラトウスハウスPilatushaus

ティーアゲルトナー広場Tiergartnerplatzに面している。

美術品用防空壕 Historischer Kunstbunker

第二次世界大戦の最中、芸術作品を守るために使用されていた。

カイザーブルク Kaiserburg

中欧で最も重要な城郭建築といわれる、見るからに堅牢な造りの城。
ニュルンベルクの象徴ともいえるこの城は、町の北側、砂岩の岩山の上に建ち、旧市街を見おろすようにどっしりと構える。
もっとも古い部分は1040年ごろの城塞司令官の城Burggrafenburgで、1420年にほとんど完全に破壊されたが、12世紀にカイザーフルクKaiserburgが付け足されており、現在見られる形になったのは、15世紀から16世紀にかけてのこと。
高さ30mのジンウェル塔Sinwellturm(113段)からは、旧市街の傾斜の険しい屋根や数々の塔の眺望が得られる。
中庭には53mという深さの井戸があり、今でも飲み水が湧いている。
建物として注目に値するのは、ロマネスク様式の二重礼拝堂で、階廊から皇帝は一堂に集まった随臣たちを見ることができるようになっている。  
カイザーブルク博物館Kaiserburg Museumでは、城の歴史や防衛技術の進化についての展示を行っている。

城壁 Stadtbefestigung

15世紀中葉に完成したこの町の城壁は、現在なおほぼ無傷のまま残っているドイツの大都市では唯一の例である。
屋根つきの巡視路をもつ内側の城壁の外にもうひとつの防壁Zwingermauerがあり、その前は幅の広い空堀になっている。
防衛のための塔が67、いまなお残っているが、そのうちの4つは16世紀の大塔 Dicke Turmeで砲丸の攻撃にも耐えられるような木造の覆いを持ち、壁の厚さは最大6mに達する。
フラウエン門Frauentor、
シュピットラー門Spittlertor、
ノイ門Neutor、
ラウファー門Laufertor

聖ローレンツ教会 St.Lorenzkirche

200年におよぶ時をかけて建てられた、ゴシック建築のプロテスタント教会。
ニュルンベルクで2番目に大きいといわれる。
高さ81mの2本の塔がある。
アダム・クラフト作の高さ20mの聖体安置塔、ファイト・シュトスが制作した聖歌隊席のところに天街から吊ってある受胎告知のレリーフが見どころ。
西側正面にあるステンドグラスをはじめ、祭壇などの宗教美術に注目。

おもちゃ博物館 Spielzeugmuseum

17世紀の民家に置かれている。
鉄道模型レイアウトコーナーは1950年から24年間かけて完成させたもので、Sゲージ(1/64)気あ九で、アメリカ・ネブラスカ州オマハの鉄道分岐点を再現したもの。
ここのOゲージ(1/43)のSL模型の大きさに合わせて、そこの風景の中に取り込むためにミニカーが作られたため、鉄道と同じ縮尺が一つの基準となってミニカーも1/43となっている。
17~19世紀のドールハウスは当時のお店を性格の再現している。
テディベアは1904年の最古のものをはじめ、歴代のものが並ぶ。
そのおほか人形の家の数々なども展示されており、玩具産業の分野でニュルンベルクの果たした役割を実例によって説明している。
Karlstrasse 13

ドイツ鉄道(DB)博物館 DB Museum(Verkehrsmuseum)

交通博物館Verkehrsmuseumの鉄道部門Eisenbahnabteilungに拡大されている。
ドイツ鉄道の技術史全般を展示した、世界でも有数の鉄道博物館。
機関車の模型、写真などが数多く展示され、マニアでなくとも必見。
特に欧州最大の縮尺で造られた、1:10の模型、バイエルン王ルードヴィヒのお召し列車は見応えあり。
1835年、ニュルンベルクとフュルトの間を走ったドイツで最初の蒸気機関車アードラーAdler号の複製模型が最も人気がある。

国立ドイツ博物館(ゲルマン民族博物館)Germanishes National Museum

14世紀の旧シャルトル会修道院の建物lこ置かれている。
非常に大きい博物館だが、2階にはアルブレヒト・デューラーAlbrecht Durerをはじめ、ドイツ・ルネサンスの画匠たちの作品が見られる。

フェンボーハウス市立博物館 Stadtmuseum Fembohaus

16世紀ルネサンス時代に建てられた砂岩造りの華麗な家を使った博物館で、正面は切妻造りで、渦形、角形、小尖塔などに飾られている。
16-19世紀の貴族屋敷の家庭生活やニュルンベルク市5の歴史を紹介。

聖母教会 Frauenkirche

中央広場の東側、取り壊されたユダヤ教会堂のあとに建つゴシック様式の教会。
建てられたのは皇帝カール4世の治世下であり、当時は宮廷礼拝堂の役を果たしていた。
バルコニーの上に同時代の自動人形Mannleinlaufenがあり、毎日正午にカール4世皇帝の前を通り過ぎる7人の選帝侯の人形の行列が現れる。

新博物館Neues Museum

ニュルンベルクで一番新しい博物館。
現代アートが中心。

ナチス党大会会場跡地など

ナチス党大会会場跡地Reichsparteitagsgelande
ヒットラーをテーマにしたドキュメントなどではたびたび登場する軍服姿の大行進。
1933年以降毎年この町で開催されていた。ヒトラーはより大規模のナチス党大会会場の建設計画を練り始めていた。そして、戦争勝利の後にナチス党大会が開催される筈だった。
当初の計画では、ローマのコロセウムスタイルでそれを超える規模の建物となる予定だった。
しかし、1945年の爆撃により、愚かしいぼど巨大なナチス党大会会場跡はほとんど破壊されたが、それでも、まだ建物の異様さやスケールの大きさは感じられる。
現在、未完成の会議堂Kongresshalleの北の別館に資料館Dokumentationzentrumが設けられ、ヒットラーとナチスの戦争犯罪の過程を歴史を追って展示している。
(アクセス)
ニュルンベルク中央駅前からDoku-Zentrum行きの路面電車9番で終点Doku-Zentrum下車
http://www.museen.nuernberg.de/

ルイトボルトアレーナLuitpoldarena

ナチス党大会会場跡地の北西の端にある。
ヒトラー親衛隊や突撃隊のマスゲームの場として建設されたが、現在は公園になっている。

ツェッペリン観覧席 Zeppelintribune

会議堂の東のドゥツツェントタイヒDutzendteich(人工池)に面して建つ。
大規模なナチスのパレード、大会、イベントなどが開催されたところ。
かつては軍事演習場として作られたが、現在はスポーツ大会やロックコンサートなどのイベント会場として使用されている。

ジルバー湖Silbersee

ここは収容人員40万人を誇るドイツ・スタジアムDoutsches Stadionになる予定だったが、地下水で建設ができないまま湖になってしまった。

600号陪審法廷Schwurgerichtssaal 600

ニュルンベルク・フュルト地方裁判所Landgericht Nurnberg-Furth。
連合軍の爆撃で約90%が破壊されたニュールベルグだが、中心部から離れていた裁判所は奇跡的に焼け残っていた。
そして、第2次大戦後には、連合国が、戦争犯罪と平和と人道への罪を告発し、この裁判所を国際軍事法廷の場に選んだ。
1945年11月20日から1946年10月1日まで開かれたニュルンベルクの600号陪審法廷では、 ナチスの24人の最高幹部と8つの機関(秘密警察ゲシュタポとナチ親衛隊など)と部下150人に有罪判決が下され、数十名だけが死刑判決を受けたのだった。
土・日曜の午後のみ1時間のガイドツアーにより公開。13:00~16:00、1時間おき。
(アクセス)
地下鉄U1でBarenschanzstr.下車。
Sielstrasse出口からFurther Str.を約5分、
Further Str.110
http://www.museen.nuernberg.de/

ライン・マイン・ドナウ運河 Rhine-Main-Donau-Kanal

北海から黒海まで3500kmを結ぶ大運河が1992年に完成した。
ドイツ南部バイエルン州にあり運河、ドナウ川とマイン川を結ぶものであり、マイン川を通じ、ライン川とも連絡している。
この運河により、ヨーロッパを横断し、北海と黒海の水運が可能となった。
マイン川側のアシャフェンブルグからドナウ川側のパッサウまでの67kmの運河工事が1921年から始まったが、第2次世界大戦の混乱の時期に中断していたが、戦後工事が再開され、1992年に完成された。
793年カール大帝によって最初の構想が生まれてから実に1200年長い年月が流れた。
運河部分は全長171km、幅55m、水深4m、16の堰で水位の上下をさせる。
マイン川方向の標高差は175.1m、ドナウ川方向では67.8mとなる。
欧州各国のの物流の大動脈として貨物船の往来が多いが、客船も多く就航している。
運河は北から、バンベルクの町でマイン川より別れ、エルランゲンとニュルンベルクの町の近くを経由する。その後、分水嶺を越えて、ドナウ川に繋がる。
運河といっても高速道路のように高架の立体交差のようになっている。

ニュルンベルク周辺の見どころ

フュルト・フランケン・ユダヤ博物館Judisches Museum Franken in Furth

ニュルンベルグのとなり町フェルトFurthは南ドイツでユダヤ人が一番多く住んでいた町だった。

エアランゲン Erlangen

ニュルンベルクの北17km。人口11万人
大学の町で、電流回路の抵抗に関する法則を発見したゲオルク・オームGeorg Ohm(1789~1854)の故郷でもある。
同じような古風な家々が立ち並ぶ静かな町。
1683年、フランスから追放された新教徒(ユグノー)たちがが多数亡命して定住していた。
プロテスタント教会は、彼らの住居地域の中心に位置している。
現在は、電子産業の中心地として繁栄しており、ドイツ最大の電子・通信機器メーカーのシーメンスSiemensの工場がある活気に満ちた町。















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