ヒルデスハイム Hildeshaim
ニーダーザクセン州
人口:約100 000人
概要
ハノーファーの南南東30キロに位置する。
長年にわたって中世の美しい建造物を保存してきたこの町であるが、第二次世界大戦末期の1945年3月22日、連合軍の空襲によってついに壊滅、戦後莫大な労力を投入して歴史的なマルクト広場が再建された。
そもそも815年ルートヴィヒ敬虔王がここに司教区を置き、そこからヒルデスハイムの町が発展した。オットー大帝時代の建築術の中心地として、司教ベルンヴァルトBernward (993~1022)およびゴーデハルトGodehard(1022~1038)のもとで最盛期を迎えた。
13世紀半ばから16世紀に至るまで、様々な分野で影響力を広げようとした司教と都市市民との間に抗争が絶えず、都市は盛衰を繰り返し、それがしばしば発展の妨げとなってきた。
言い伝えによると、815年のある日の夕方、一日中狩りをして疲れたルートヴィヒ敬虔王は、聖遺物箱を1本のばらの木の枝の中に吊るして眠り込んでしまった。
翌朝、彼はどうしても小箱を潅木から引き出すことができなかった。これは神の啓示と思い、その地に礼拝堂を建て、聖壇がバラの茂みの所になるように命じた。
やがてそれは司教座となり、その周辺にヒルデスハイムの町が発展した。
1945年の冬、ばらの本は一見したところ爆撃によって焼けてしまっていたにもかかわらず、新しい芽を吹き出し、花を咲かせて人々を驚かせた。今の様に大きく成長したのを、人はこれを“奇蹟”と呼んだと云う。ここでは千年長寿のばらの木(Der tausendjahrige Rosenstock)と呼ばれている。5月中旬、白いピンクの花を咲かせる。その伝説は「グリム伝説集」にも載っている。
この素晴らしい大聖堂の扉は、戦時下の状況を案じた司教が安全のために地下室への保存を主張したために戦火から救われた。見事なデザインで、さまざまな歴史的物語や聖書の物語が立体的な浮き彫りになっていて、ユネスコの世界文化遺産になっている。
支流運河によってミッテルラント運河Mittellandkanalと結びついているこの町は、経済的には主に環境を損なわない産業分野に従事しているといえる。
ヒルデスハイムへのアクセス
ハノーファー中央駅Hannoverからヒルデスハイム駅Hildesheim Hbfへは普通列車で30分。ほぼ30分間隔。
旧市街地
ヒルデスハイムのほとんどの見どころは徒歩で行ける場所にある。
マルクト広場 Marktplatz
ヒルデスハイム中央駅Hauptbahnhofから南へ750mのところにある。
歩行者天国のベルンヴァルト通りBernwardstrasseで進むといい。この通りは途中からアルムス通りAlmsstrasse、ホーアー・ヴェークHoher Wegと名前を変える。
歴史的価値の高いこのマルクト広場は、たいへんみごとに再建された。8世紀におよぶ建築様式が顔を揃えている。
市庁舎 Rathaus
マルクト広場の東に建っている。
1246年から1290年にかけて建てられたゴシック様式。時代を経るうちに改・増築を重ね、特徴的な3部分もそれぞれ異なった時代のもので、単純化された形で再建された。
ベルの鳴る仕掛け時計:毎日12、13、17時
テンペルハウス Tempelhaus(神殿)
マルクト広場の南にある個性的な東洋風建物(1320~1330)。
段状の切妻と二つの円い小塔は、16世紀に付け足されたもの。特に目を引くのはルネサッス式出窓Renaissance-Erker (1591年)で、窓下の壁には「放蕩息子」の物語が描かれている。
隣接するヴェーデキントの家Wedekindhausには、ニーダーザクセン州のルネサンス建築に典型的な玄関の張り出し(地面から切妻にかけて建物前部に突出した部分)が見られる。
この家は1598年につくられた木骨組建築で、木彫装飾が豪華である。
その隣は1755年のリユンツェルの家Luntzehaus (現在は都市貯蓄銀行Stadtsparkasse)と、バロック様式の張り出し部(1730年頃)を持つ14世紀のローランド・シユテイフトRolandstift。
マルクト広場の西側には、パン屋と肉屋の同業組合会館(ギルド会館)がある。
パン屋組合会館 Backeramtshausは創建を1451年にさかのぽるが、その隣の立派な畜殺業者(肉屋)組合会館 Knochenhaueramtshaus (1519年)と同様、当初の建物をきわめて忠実に復元したものである。
畜殺業者(肉屋)組合会館は「世界で最も美しい木骨組の家」との誉れが高く、その9階建ての堂々とした建物には、職人階級の誇りが表れている。
上部にある5つの階は、レーマー博物館Roemer-Museumの市の歴史コレクションにあてられている。
広場の北側には、ロココハウスRokokohausを取り巻いて、現在は居酒屋Stadtschankeと毛織り工組合会館Wollenwebergildehausが建っている。
見どころ
大聖堂 Dom
現在の大聖堂は、11世紀のロマネスク様式のバシリカ聖堂を、もとの設計図通りに復元したものである。ただし脇聖堂はゴシック様式で建て直されたし、交差部の円屋根は18世紀のそれを模している。
内部は、もとのバシリカ建築の単純さを尊重している。身廊と側廊の境は、円柱2本、角柱1本の割で柱列がつくられているが、これは古いザクセン派の建築の特徴である。
大聖堂はみごとな芸術品の数々を蔵している。交差部の天井に吊り下げられているシヤンデリアは11世紀のものである。左側一番奥の脇聖堂には、天国の川を象徴する4人の大物たちに支えられた、精巧な彫刻を施した洗礼盤が置かれている。右側の袖廊には、キリストの生涯に捧げられた、11世紀のブロンズの記念柱がある。
大聖堂の東側の部分に接して、ロマネスク様式の2階になった内庭回廊がある。千年長寿のばらの木が、後陣の壁を這いのびている。
回廊にある千年の薔薇の木Tausendjahriger Rosenstock へは入場料が必要となる。
西正面の司教ベルンヴァルトBernwardsturen の5m近い高さのブロンズ扉は、初期ロマネスク彫刻のみごとな証拠である。扉の浮彫は、旧約、新約両聖書からとられた情景を表現している。
大聖堂のすぐ近く、聖アントーニウス礼拝堂Antoniuskapelie には、ルネサンス様式の壮麗な内陣仕切りがある。
聖ミヒャエル教会 St. Michaeliskirche
大聖堂の扉と同じく、ロマネスク様式の聖ミヒャエ教会も世界文化遺産になっている。
1022年に建てられ、大規模な戦争の被害の後で再建されたこの教会で最も美しいのは、縞模様の柱と天井に描かれた細密画だ。この教会は大聖堂の北にある。
聖ゴーデハルト教会 St. Godehardikirche
この12世紀の教会は、優雅なシルエットを見せる。3本の塔を飾る細くのびる尖頂部が特徴。
教会のあるラッベンベルク広場Lappenberg周辺にはかつてユダヤ人地区があり、町でも一番古い区域である。この地域のほとんどが無事に残っだのは、地元の消防団が1938年11月のクリスタルナハトKristallnacht(水晶の夜)にシナゴーグをみすみす全焼させ、広場周辺の他の建物を守ったからだという。かつてのユダヤ人学校である。 1988年、50周年を記念して、シナゴーグの跡地に記念碑が建てられ、その後、シナゴーグの基礎部の輪郭図が描かれ、その上にエルサレムの模型が置かれた。
聖アンドレアス教会 St. Andreaskirche
この教会は中世の町並を見下ろしていたが、残っているのは教会だけである。とりわけ注べきなのは、ゴシック様式の大きな窓のある14世紀末の正面。高さ118mの塔は台形の基礎の建っている。頂上までは364段の階段である。
聖十字架教会 Heiligkreuzkirche
バロックの正面のかげに、ロマネスク様式の教会堂がかくれている。それ自体、11世紀に古い要塞門を改造したものであった。内部では、オットー1世時代、ゴシック期、バロック期の諸要素が並存している。
聖マウリテイウス教会 St.Mauritius-Kirche
ベルクシュタインヴェークBergsteinwegをたどって町を出る。
11世紀のこの教会(内庭回廊は12世紀)は、市街の西、モーリツベルクMoritzberg地区にある。内部は「バロック化」されている。