リューゲン島 Insel Rugen
メクレンブルク・フォアポンメルン州
概要
ドイツ本土の最北東端にあるシュトラールズント Stralsundの近くで、シュトレーラ海峡にかかる2.5kmの土手道と橋で大陸と結ばれている926平方kmのドイツ最大の島。
佐渡島よりやや広い面積で、7300人の島民が暮らす。
幹線道路と鉄道が、島の小さな中心都市ベルゲンまで直接通じている。
島の西側では深く切り込まれた海岸線が、非常に不規則な、小さな内海の輪郭をつくり、東側では白亜の断崖と砂浜が交互に続き、毎夏多くの避暑客を引きつけている。
保養地としての歴史は古い。 19世紀初頭に大公のための温泉保養地が造られ、海辺の高級リゾート地として発展した。
19世紀には、アインシュタイン、ドイツ宰相ビスマルク、トーマス・マンといった著名人が、このおしゃれな海のリゾート地にくつろぎにやってきたし、ドイツの富裕層の妻子は仕事のある夫を都市部に残し、ここを訪れた。
東ドイツ時代、この魅力的な島を楽しめたのは共産党幹部だけだったが、東西ドイツの統一後に再び輝きを取り戻し多数の観光客を受け入れている。
島のほとんどが国立公園か自然保護区域となっている
放牧がおこなわれている地域には風車があり、風力発電が盛んに行われている。
島の最北端には切り立つ荒々しい白亜岩の海岸絶壁がある。ヤスムント国立公園のもっとも大きい断崖は、高さ118mの「王の椅子」と呼ばれる断崖である。
ナチス・ドイツ時代には、労働者階級のための海水浴場などを備えた巨大な保養施設をプローラProraで建設しようと建設途中の建物が建つ。一棟の長さが500mもある長い建物。
6つがつながっている。6階建ての建物は無数の部屋に仕切られ、家族はそこで休暇を過ごすというものだった。
第二次世界大戦が始まったため使われることはなかったが、戦後は東ドイツ軍兵舎として1990年までは利用され、現在は一部が改装され、ユースホステルとして利用されている。
一部はプローラ博物館 Prora-Museumにもなっている。
この島の東南部にはSLリューゲン鉄道Rugensche Bader Bahnの鉄道が走っている。
直訳すると「リューゲン海水浴鉄道」となるが、「リューゲン保養地鉄道」といわれる。
愛称としてRasender Rolandと呼ばれている。「疾走するローランド」となる。「ローランド急行」と言った方がスマートだ。
750mmのナローゲージのこの鉄道の列車に乗り換えて海岸沿いのゲーレン駅まで蒸機列車の旅を楽しむことが出来る。
鉄道マニアには、機関区があるプットブス Putbusで時間をかけるといい。駅に隣接する機関庫や側線に留置されている旧東独時代のSL機関車や車両が出入りしている。
リューゲン島に隣接して小島 ヒデンゼー島、ウマンツ島がある。
リューゲン島へのアクセス
ベルリン中央駅Berlin Hbfからリューゲン島のビンツOstseebad Binzまで
直通の特急ICで3時間50分。ほぼ2時間間隔。
快速普通列車REで2度乗り継いでいくと約4時間半ほどかかる。
夏季シーズンは混雑するので早めの予約が必要になる。
リューゲン鉄道 Rugensche Bader Bahn
1895年開通の旅客鉄道で、最盛期は100km以上の路線を島内に持っていたが、旧東独時代の1960年代に大半が廃止され、今は26kmだけ。750mmの狭軌。単線で1日7往復、
プットブスPutbusからゲーレンGohren まで24km弱の路線になった。
ドイツ統合後はDB鉄道に属していたが、1996年に民営化され新設のRugensche Kleinbahn に移管された。2008年にPressnitztalbahn会社の一部となり鉄道名はRugensche Bader Bahnと呼ばれることとなった。
また2009年にDBのベルゲンBergen auf Rugen からラウターバッハ・モーレLauterbach MoleがPressnitztalbahnによる運営となり、プットブスからラウターバッハ・モーレの2kmほどの間はDB鉄道と相互乗り入れできるように、標準軌路線に750mm用の中央レイルが追加され狭軌共用できる3路線化が行われるようになり、「ローランド急行」は26㎞になった。
途中駅プットバス駅から後部にディーゼル機関車を連結する。冬は寒いので車内にストーブもある。
終点のローターバッハで機関車の入れ替えができないため、帰りはディーゼル機関車がけん引する。
なお、ベルゲンからラウターバッハ・モーレまではDBの気動車が走っている。
ドイツの並木道 Deutsche Alleenstrasse
リューゲンダムRugendammを渡って東のプートブスPutbus方面に向かうと間もなく、栗や樫、ニレ、ポプラの木々が樹葉を豊かに張り出している道路に出る。
この2車線道路は海岸のリゾート地、ゼリーンSellinまで60km続く。
ここは、ドイツの並木道のスタート地点だ。このドイツの並木道は、ドイツのこの地からスイスとの国境にあるボーデン湖Lake Constanceまで、緑豊かな道路を建設しようという大掛かりな計画に沿って造られている。
リューゲン島は南部の大半が農地で、人口の少ない地域を通るので、舂には浮き立つような黄色のアブラナ畑と、ジャガイモ畑、牧草地が交互に現れる。
ベルゲン Bergen Auf Rugen
人口約23,000人
島の中心部に位置し、島内交通の要衝。
この島を訪れる旅行者の多くはビーチエリアに滞在するので、中心地でありながらそれほど観光客は多くない。
プトブス Putbus
南東部にある「白い町」。巨大な円形広場、ツィルクスCircusがあり、それを16軒の大きな、白い、新古典主義様式の建物が囲んでいる。広場中央には、侯爵の冠を戴いた高さ21mのオベリスク(1845年)がそびえる。
1810年以降、プトブス侯爵ヴィルヘルム・マルテ1世(1783~1854年) Wilhelm Malteによって、バート・ドベラーン Bad Doberanに準拠した居所兼海水浴場として築かれた。
彼は、リューゲン島のドイツ侯爵の家に生まれ、後にスウェーデンの政府議会の議長となった人物。ドイツとスウェーデンで勉学に励んで、この地域の為に法の整備等に尽力を注いだ。当時、この地域の統治は北方の戦争によって不安定であったにも関わらず、経済や地域の活性化に努めたことで有名である。
侯爵の居城は1960年に取り払われたが、擬古典主義様式の町の施設は奇跡のように保存されている。
訪れる人は、ドイツではもはや他にほとんど例を見ない、調和のとれた町の姿に驚嘆する。この町が「リューゲンの真珠die Perle Rugens」と呼ばれるのも納得できる。
現在は、リューゲン島の文化の要を自負し、島唯一の劇場もここにある。
宮殿庭園 Schlosspark
75 haのイギリス式風景庭園。イチョウ、イトスギ、フッキソウをはじめとする異国の木々が生い茂り、オランジュリーOrangerie (1853年、フリードリヒ・アウグスト・シュテューラーが改造)、厩舎Marstall、教区教会Pfarrkircheがある。
劇場 Theater
アレー通り Alleestrasse。ベルリンの建築士シュタインマイヤーSteinmeyer(シンケルの弟子)によって、1819年から1821年にかけて建てられた。トスカーナ風の4本の柱が、ポルチコ(柱廊玄関)を形成している。入口上にはアポロと女神たちを表した青い化粧漆喰のフリーズ(帯状装飾)があり、建物の輝くような白さの中にくっきりと浮かび上かっている。この劇場は、抜群の音響効果で名高い。
狩猟の城グラニッツ(Jagdschloss Granitz)
プトブス侯爵ヴィルヘルム・マルテー世Wilhelm Malte 1が、1837年以降、リューゲン島東部で最も高いテンペル山上(標高107m)に建てさせた狩猟の城。
正方形をした新ゴシック・チューダー様式のこの城は、島で最もすぐれた世俗用建築の一つである。
各部屋の見学が可能で、城主の肖像画や絵画のコレクションも展示してある。
14の角櫓(すみやぐら)が、グラニッツの森Granitzwald の中にそびえている。
1844年、カール・フリードリヒ・シンケルの設計により、中庭に高さ38mの展望塔が造られた。
154段の実に美しい鋳鉄製の螺旋階段Wendeltreppeを上って、展望台に出る。
ここから、リューゲン島の息を飲むばかりにみごとな眺望が得られる。城内部の見学も可能。
ビンツBinzの南。徒歩で1時間ほどかかる。リューゲン鉄道でも行ける。
リューゲン鉄道ビンツ駅 BinzLBからガーレンGahren行に乗り、森で囲まれたジャグドシュロッスJagdschloss駅で下車。ジャグドシュロッス(Jagdschloss)へは、広い石畳の一本の坂道を約1Km登る。
メンヒグート半島 Monchgut Peninsula
リューゲン島南東のメンヒグート半島は、荒々しく入り組んだ海岸線、深い入江、砂浜、緩やかな稜線を持ち、そして森林が広がる土地だ。
この半島の名は、14世紀にこの地に初めて住みついた修道士たちにちなんでいる。
島の住人は異教徒のスラブ人であったため、修道士たちは一緒に移り住んだ人々がこれと交流するのを許さず、このため半島の住人は何世紀もかけて、独白の伝統を作っていった。
衣装やダンスなどは、現在も昔ながらのものが残っている。
ゲーレンGohren
人口約1300人
ゲーレンは楽しくのんびりしたリゾート・タウンで、メンヒグート半島の東側の、海に突き出したノルトペルト岬Nordperdの付け根にある。海岸は静かな南シュトラントSudstrandと、にぎやかな北シュトラントNordstrandに分かれている。北シュトラントは開発されており、桟橋や公園、それに隣村のバーベBaabeへと続くプロムナードがある。
ゲーレンはローランド急行Rasender Rolandの蒸気機関車の東端の駅でもある。
この街の文化的見どころは、メンヒギューター・ムゼーンMonchgiiter Museen (メンヒグートの博物館だ。ハイマートムゼウムHeimatsmuseum、農園のムゼウムスホフMuseumshof、ルークフスRookhus (煙突のない、珍しい建物)、船舶博物館ルイーゼ号Luiseという、歴史を展示する4つの博物館が集まっている。
ビーチリゾートエリア
島の南東部。ビンツBinz、ゼリンSellin、バーベBaabe、ゲーレンGohrenは、いかにも心地良さそうな砂浜と美しい湯治場建築が人々を誘う。背後には豊かな森が広かっている。これらへの交通は、プトブスとゲーレンをグラニッツ経由で結ぶローカル鉄道「口-ラント急行号Rasender Roland」を利用する。
ビンツ Binz
人口約5400人
ビンツはリューゲン島で最大にして最高級の海辺のリゾート地だ。8割以上がドイツの人々で、他はオランダ、スウェーデン等の北部ヨーロッパ人々が大半である。
島で一番の海岸にあり、周囲には砂丘や森があって、ここから見えるプローラのヴィーク湾Prorer Wiekと白亜岩の崖が織り成す風景は素晴らしい。念入りに修復したために、ビンツは今また魅力ある海辺の街として花開き、100年前の姿をほぼ取り戻している。
ビンツには4kmにおよぶ海辺のプロムナードがあり、その中心は海岸から海に370m突き出した長い桟橋と豪華なクアハウスKurhausだ。桟橋は1902年に初めて作られたが、重なる災害により何度も修復されて、1994年に現在の状態として作られた。先端まで歩くことができ、海の上を歩く気分が味わえる。
(見どころ)
ビンツは19世紀末に建設された、ベーダーアーヒテクトウアBadderarchitektur(浴場建築)といわれるロマン様式の家並みで有名だ。木材と鍛鉄製の白い繊細な格子で飾った大きなバルコニーがこの様式の特徴だ。シラー通りSchillerstrasseとマルガレーテン通りMargaretenstrasseに立つ見事な4棟をはじめ、こうした優雅なヴィラが近年修復されている。ビンツの繁華街通りから南北に伸びる鉄道通りを300mほど南へ向かうと、パークデアシンPark der Sinn(癒しの公園)がある。季節ごとの植物が観賞できる。
フェルシャー・ムゼウムFalschermuseum (贋作美術館)では、風変わりな芸術作品を鑑賞できる。( Margaretenstrasse 20)
ビンツの中心地から約1.5Km西に、昔ながらの機関車が走るリューゲン鉄道のビンツLB駅(Binz LB)がある。リューゲン島内の鉄道で、ビンツを中心、北はラウテバッハ(Lautebach)から南はガーレン(Gahren)まで走行している。ビンツから他の海岸や湖水地の方に路線が繋がっているので、この鉄道で好きなところに日帰り観光に出かけることができる。
ゼリンSellin
バーベBaabe
ゲーレンGohren
プローラ Prora
プローラはビンツBinzの真北にある街で、細かい、真っ白な砂の海岸がほぼ5kmにわたって途切れることなく続いている。しかし、この美しい海岸沿いに走ってみると、6階建ての不気味な建物6棟が壁のように囲っており、500mもの長さがある。
この目障りな建築物は、2万人を収容するナチス・ドイツの労働者の休暇用リゾート施設で、1936年に建設が始まったものだ。第二次世界大戦の勃発でこの工事は中断し、戦後は、ソ連軍が残っていた建物を爆破しようとしたものの手におえなかった。
この殺風景な建物には6つの博物館からなるムゼウムスマイレMuseumsmeile(博物館群)が入っでいる。その中のフローラ博物館Museum Prora は複合博物館だ。プローラの各時代を記録にとどめ、さらにはナチスと東ドイツ時代を扱う「時代の部屋」もあるフローラ歴史博物館Historisches Prora-Museum、科学に親しませてくれるムゼウム・ツム・アンフアツセンMuseum zum Anfassen (体験型博物館)、海を身近に見せてくれるヴァツサーヴェルトWasserwelt(水の世界)が入っている。
ザスニッツ Sassnitz
この港町は、スカンディナヴィアヘのフェリー航路の起点となっている。
北に非常に美しいブナの林に覆われ、国立公園の一部として保護されている。
ここでは多くの人が眼下のバルト海まで100m以上も落差がある壮大な白亜の断崖を眺めて息を呑む。
19世紀のロマン主義の画家、カスパール・ダーヴィト・フリードリヒは、この絶壁の荒々しい地形と自然のままの白さに魅了され、1818年、断崖から呆然と彼方を眺める旅人の姿を描いた有名な作品を残した。
シュトゥベンカマー Stubbenkammer
リューゲン島北東に位置する起伏が多く美しいヤスムント国立公園Jasmund National Parkは、多くの芸術家を惹きつけてきた。ロマンス主義の画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒはその筆頭に挙げられる。フリードリヒが好んで描いだのがシュトゥッベンカンマーStrbbenkammerだ。
この公園の北端に位置し、白亜の断崖海岸が印象的に海に突き出し、それを見下ろして高さ117mの岩礁ケーニヒシュトゥール(王の椅子) Konigstuhlがそびえている。この崖の117mという高さはリューゲン一だ。
運よく晴れた日にここを訪れれば、濃紺色の海の上に、緑の葉に縁取られた白い岩塊が明るく輝くのを眺めることができる。
絵はがきのような牧歌的風景で、訪れる人が多すぎるのが唯一の難点である。
ヴィットウ Wittow
リューゲン島の北端にあるヴィットウは、元々は独立した島だった。
時間の経過とともに砂が運ばれて島と島をつなぎ、シャーベSchaabeができた。人口は少なく、吹きさらしの土地は、大半が農地だ。
アルコナ岬 Kap Arkona
高さ5Dmの白亜の断崖アルコナ岬は、島の最北端を形成している。
ここには有名な2棟の灯台がある。
花崗岩の土台を持つ正方形の4階建て煉瓦造りの古い灯台Alter Leuchtturmは、1826~1829年、カール・フリードリヒ・シンケルの設計で建てられた。
内部にはリューゲン島出身の芸術家の作品が展示されている。
展望台からは素晴らしい景色が楽しめる。ゲルハルト・ハウプトマンが長年暮らした隣の島ヒデンゼーHiddenseeまでを見晴らす、素睛らしい眺望が得られる。
深い青を湛えたバルト海Baltic Seaを背景に、アブラナ畑や牧草地、白い砂浜が、色鮮やかな模様を織り成している。
この灯台は1902年からずっと稼動している。
灯台からそう遠くないところにテンペルブルグTempelburgの遺跡を保存する建築物、ブルクヴァルBurgwallがある。スラヴ人によって築かれた。テンペルベルクとはスラブの寺院と要塞で、4つの頭を持った神、スヴァンテヴィトSvantevitを祭ったものだ。1168年デンマーク人によって破壊されたヤロマルスブルク要塞Jaromarsburgの名残である。
これによりリューゲン島はキリスト教化が進んだ。
(アクセス)
アルコナ岬への入口は、プートガルテンPutgartenの村だ。ヴィットウ中心部のアルテンキルヒエンAltenkirchenから403番のバスが出ているが、便数は多くない
フィットVitt
海岸を南東方面へさらに1.5kmほど進むと、魅力的な漁村フィットがある。
おもちゃのようなこの村には13軒の草葺き屋根のコテージと、レストラン、スナック・バーが数軒ある。村の入口にある漆喰塗りの六角形の礼拝堂は毎日開いており、フィリップ・オットー・ルングの祭壇画の複製が置かれている(原画はハンブルクにある)。
シャーベSchaabe
ヤスムント半島Jasmund Peninsulaのヴィットウまで続くこの細長い土地は、間違いなく島一番の海岸だ。細かく白い砂でできた三日月型のビーチが10km続き、境界には芳香漂う松林がある。ここにはインフラがなにもない(救助員もいないし、スナック・バーもない)という事実にも、自然のままの魅力が増すだけだ。
ヒデンゼー島 Hiddensee Island
人口約1000人
ヒデンゼー島はリューゲン島西海岸の先にある細長い島。
長さは17km、最大幅が1.8km。静かな穏やかな土地で、車は走っておらず、インフラも整ってはいない。
地元の人達は、この島を“ダッド・ゼーテ・レンネケンDat sote Lanneken (小さな美しい島)”と呼ぶ。
19世紀から20世紀初頭にかけて、ヒデンゼー島はトーマス・マン、アスタ・ニールセン、マックス・ラインハルト、ベルトルド・ブレヒト、ゲアハルト・ハウプトマン(この地に埋葬)といったそうそうたる芸術家たちを魅了した。
島の3つの村グロスターKloster、ノイェンドルフNeuendorf、フィッチVitteが今日では滅多に見られなくなった素朴な魅力を湛えている。
ビデンゼーをめぐるには自転車が一番だ。レンタルできる店もあちこちにある。
ヒデンゼー島へはリューゲン島西岸のジャーフローテSchaprodeとヒデンゼー各地の間を船が4月から9月中旬まで1日数便運航している。