エアフルト Erfurt

テューリンゲン州の州都
人口 約210,000人

概要

州都エアフルトは、ライプツィヒの南西100km、ベルリンの南西300km、ミュンヘンの北400km、フランクフルトの北東250kmに位置し、13世紀ころには、すでにヨーロッパの交通・交易の要所として繁栄していた。
全長85kmのゲーラ川Geraの畔にあり、なだらかな丘陵地帯に位置する。

ゲーラ川Geraはテューリンゲンの森から湧き出でるウンシュトルト川Unstrut(全長約192km)の支流で、ナウムブルクNaumburg でザーレ川 Saaleに合流し、最後はエルベ河Elbeに入る。
この辺りは13あるドイツワインの一つザーレ・ウンシュトルート・ワインの栽培地域でドイツ最北のワイン街道となっている。
ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道Weinstrasse Saale-Unstrutは、ネブラNebraからバート・ケーゼンBad Koesen、バート・ズルツァBad Sulzaを経てイエナJenaに至る、約60kmのルートで、周囲には一面ブドウ畑の風光明媚な風景が広がっている。

中世ロマン漂うエアフルトは、805年カール大帝によってスラブとの境界交易地に指定されて以来、東はライン地方から西のロシアにおよぶ一大通商路「王の道Koenigsweg」の要衝として栄えた街だ。
15世紀にはハンザ同盟に参加しており、北の有力な港と中央∃一ロッパを結ぶ連絡地点であった。

商業の発展は文化活動の成長を促し、大学都市として多くの文化人を集めることとなった。
マルティン・ルター、ゲーテ、シラー、ナポレオン、ヨハン・セバスチャン・バッハに代表されるパッハー族などの著名人がこの街に惹かれたのは、その文化活動にあった。

15-16世紀にはドイツ人文主義の中心地となっており、若きルターLutherは、ドイツ人文主義の牙城であったエアフルト大学で哲学を専攻した。
1505年、彼はアウグスティノ会修道院に入り、6年後大学教授としてヴィッテンペルクWittenbergに赴くまで、この地で暮らした。

ゲーテは、1776-1811年にかけてワイマール王国の宰相としてエアフルトにたびたび滞在した。
1808年9月27日から1D月14日までの間、エアフルト会議 Erfurter Kongressでここに滞在している間にナボレオンはゲーテと何回か会っている。
二人は互いに称賛し合い、「これこそ人間だ!」と感激したというナポレオンは、彼にレジオン・ドヌール勲章を授けている。ゲーテもまた、フランス皇帝ナポレオンに対し、深い尊敬の念を抱いていた。

第二次世界大戦の戦災を免れた旧市街にはかつては80もの教会が建っていて、中世の街並みがそのまま残っているが、1472年に町中で猛威をふるった大火のせいで、15世紀以前の建物は一つも残っていない。
それでも中世から近代にいたる各時代の荘厳な建築物が残されていて、建築家の間では「建築物の博物館」と評している。
25の教区教会と15の修道院、10の礼拝堂から、塔が林立しているのを、マルティン・ルターは、この都市を「塔多きエアフルト」と称えたという。

第二次世界大戦で受けた被害を、戦後のドイツ民主共和国(旧東ドイツ)政権は昔の栄華をほとんど取り戻すことができなかった。
ドイツ統一後、一気に復興が行われ、往年の活気を取り戻すまでになった。
エアフルトのかつての豊かさは今日でも丁寧に修復され続けている。それはルネッサンス時代の建造物や古い木組み家屋からうかがえる。これらは多くの教会や修道院、ペータースブルク城郭とともに、保存状態のよい中世都市の中心部として保護されている。
1990年以来、エアフルトはドイツ連邦共和国チューリンゲン州の州都となっている。

1392年設立のエアフルト大学は、19世紀に一旦閉鎖されたものの1994年に再建され、
ハイデルベルク、ケルンに続いてドイツで3番目に古い。しかし同時に国立大学としては 最も新しいものだ。人文・文化科学分野では、国際的にも高い評価を受けている。
エアフルト大学には東アジア史講座があり、早稲田大学をはじめとした日本の大学との交流が盛んなのも特徴だ。

旧市街はゲーラ川 Gera Riverが2分しており、さらに沢山数の小川に枝分かれして入り江ができている。
街自体は比較的大きいが、旧市街を中心に、大聖堂とセヴェリ教会や、クレーマー橋などの見どころは集まっている。

エアフルトへのアクセス

鉄道

フランクフルト中央駅Frankhurt a/M Hbf.からドレスデンDresden Hbf.行き特急ICEで2時間15分。ほぼ1時間間隔。
ベルリン中央駅Berlin Hbf.からの直通列車は特急ICで2時間20分、ほぼ2時間間隔。

見どころ

マリエン大聖堂 Dom St.Marien

エアフルトのシンボルとなる、旧市街の高台にそびえる大聖堂は、階段で降りた正面のドーム広場からの眺めが素晴らしい。
中央の教会の塔に1497年に鋳造された「グロリオサ」という大きな鐘が吊られている。
教会の祝祭の時には町中に鐘の音が鳴り渡る。
中世に造られたものとしては最大級のステンドグラスやロマネスク様式のマドンナ像、青銅の燭台「ボルフラム」(1160年)など、貴重な芸術品が多い。
夜間はライトアップされ、さらにその荘厳なたたずまいが映える。
夏季はグラーデンと呼ばれる70段ある階段を使っての野外劇が、冬季にはドーム広場でクリスマスマーケットが開かれる。

聖セヴェリ教会 Severikirche

大聖堂の隣にある。2つの教会の姿はドーム広場を圧巻している。
1280年僧院教会として建築が開始されたカソリックの教区教会。
3本のとがった屋根と5つの側廊を持つホールチャーチ様式の早期ゴシック様式の教会。
836年にエアフルトに運ばれてきた聖セヴェルスSt.Severusの亡骸を納めた石棺の他に、聖母マリアの石像(1345年)や高さ15mの洗礼盤(1467年)その他の芸術作品がある。

ドーム広場 Domplatz

ドーム階段の手前にある。
その北側は1813年まで住宅が建てられていたが、プロイセンとフランスの間の戦争で壊された。この広場の昔からある部分は玄武岩が敷かれている。また以前住居の立っていたところはコンクリートのレンガが敷かれている。
オベリスクは1777年マインツの大司教J・K・E フォン・エアタールの訪問を記念して作られたもの。
18世紀作のミネルバ像のある市場の噴水は飲み水を供給している。
ドーム広場の北側の裁判所の建物は1904年に新ゴシック様式で建てられたもの。
南側には歴史的な建物が現在も残っている。
ドーム広場の31番地の家は「ハウス・ツア・ボーエン・リリー(高いゆりの家)」と呼ばれる建物で、1538年にそれ以前からあった古い建物を改造して作られたもの。そして隣接するのは、1632年に立てられたかつて「グューネ・アポテーケ(緑の薬局)」と呼ばれた建物である。

ベータースペルク要塞 Citadelle Petersberg

ほぼ完全な姿で現存するバロック時代の要塞。
この要塞を築くために市内の多くの教会が取り壊されたため、エアフルトには教会を伴わない塔が多い.
歴史ある旧市街の地下に張り巡らされた坑道の迷路がある。外観は常時見学可能。
観光局のガイドツアー、グループガイドツアーがある。
ベネディクト広場の観光局やペータースペルクのツーリストインフォメーションでアレンジ可能。

クレーマー橋 Kramerbrucke

エアフルトのシンボルの一つ。
「小売商の橋」という意味で、17~19世紀に建てられたカラフルな木組みの家屋が並んでできている、ゲーラ川にかかる幅18m、長さ120m、6つのアーチで支えられている珍しい形の橋。その中に人の住むヨーロッパ最長の橋。
1117年の火事記録に初めてその名前をとどめ、以後6回の火事を経て、ついに1325年に石橋へと変わる。
中世には橋の上の左右両側に62軒の商店が立ち並び、遠方から来る行商人たちでにぎわいをみせた。
現在は32軒ほどの、かわいらしいショッピングストリートとなる。
一角には橋の移り変わりを展示しているブリュッケンハウス博物館がある。

市庁舎 Rathaus

1871年、ネオゴシック様式で建設された。内部は、タンホイザーとファウストの伝説をテーマにした壁画の他にルターの生涯を題材にした絵画の数々、742年の都市成立から市庁舍建造にいたる編年絵画がかかっている。
華やかな祝祭の間 Festsaal も見学できる。
この市庁舎の前にあるフィッシュマルクト広場 Fisch-markt には、色鮮やかな建物が並んでいる。
広場の中心にはローラントの像が立っている。

旧総督邸 Staatskanzlei

煌びやかなルネッサンス・バロック様式の建物。
ゲーテはたびたびカール・アウグスト公爵に随行してエアフルトを訪れ、レギアルングシュトラッセ72番地のワイマール公館に宿泊していて、そこからゲーテは1808年10月2日隣接する総督邸に宿泊しているナポレンオン皇帝との謁見に出向いたことで知られている。
かつてはマインツ選帝侯国総督官邸だったが、現在はテューリングン州首相官邸となっており、一般公開はしていない。

アウクスティノ会修道院 Augustinerkloster

13世紀中頃、隠修士によって建てられた修道院教会。戦災で大きな被害を受けたが、現在は修復されている。
1505~11年に修道士として滞在していたルターが、司祭の位を授けられた後、最初のミサを執り行った修道院である。
聖アウグスティヌスの生涯を描いた1枚のステンドグラス(1340年頃)を収蔵している。
ゴシック様式の回廊を通って、マルティン・ルターが生活し、仕事をした修道院の建物に行くことができる。
修道院の中でマルティン・ルターの人生とその活動の展示を見ることができる。彼はこの修道院に1505年から1511年まで僧侶として暮らし活動していた。宗教改革に関する展示やルターの僧房も公開されている。
入口はアウグスティーナ一通りAugustinerstrasse l0番地。

ミヒャエル教会 Michaeliskirche

マルティン・ルターはこの教会で1522年に説教を行っている。
教会の塔の中には1380年に鋳造されたエアフルトで一番古い鐘がある。
1652年にエアフルトの名工ルートヴィヒ・コンペニウスが製作したオルガンもある。

レーマンス橋 Lehmannsbrucke

ゲーラ川の流れを速めるために人工的に作られた島がレーマンス橋から見える。
町の中は川の流れに高低が少なく、幾重にも分かれている支流には50以上の水車があり、それらを回すために必要だった。この粉引きの作業を円滑に行うため、中世の頃から支流の水は年に何度も迂回させられてきた。

二コライ教会Nikolaikirchturm

アウグスティナー通りを曲がるときに1744年に折れてしまった二コライ教会の塔が見える。今世紀初めまでこの塔には番人が住み、町を見張っていた。

アンガー美術館 Angermuseum

1706年のバロック建築。
この建物は交易の活性化のために1705年マインツ選帝大司教付属の税関と計量所として建てられたもの。 100年以上前からここにはチューリンゲンの中世美術作品のコレクションや、19世紀、20世紀の風景画やチューリンゲンで作られた磁器、ファヤンス焼き陶器などが集められている。

周辺の見どころ

アルンシュタツト Arnstadt

南に16km。
8世紀に建設された小さな町だが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1703年から1707年にかけてこの町に住み、教区教会のオルガン奏者を勤めたことで音楽愛好家の人たちが多く訪れる町。
この教会は、現在バッハ教会と呼ばれている。
マルクト広場 Marktにある「ツム・パルムバウムZum Palmbaum」(しゅろの木)という建物内には市の歴史博物館があり、バッハ記念館と文豪陳列館が併設されている。
古い墓地 Alter Friedhof(バーンホーフ通りBahnhofstrasse)には、バッハ家の人々20名余りの墓がある。

ゴータ Gotha

西に25km。
1640年から1918年まで、ザクセン・ゴータ公国の首都だった。
フリーデンシュタイン宮殿 Schtoss Friedenstein
1655年完成の初期バロック宮殿。
美術コレクションKunstsammlungは、17世紀のオランダ、フラマン絵画を収めるほか、15、16世紀のドイツ絵画に特にすぐれている
1747年から1767年にかけてつくられたオレンジ栽培園Orangerieなどがある広大なイギリス式庭園も人気だ。















Conpyright © sera9.com