歴史

古代エジプト

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紀元前4500年頃 下エジプトナイル川の下流域の陸地化が進み、デルタ地帯に入植が始まる。
人々が村落を形成、農耕・牧畜と定住生活始める。
麦と羊、山羊、豚、牛の共通性で西アジアからの伝播と考えられる。
BC3000年頃 メネス(ナルメル)王が上・下エジプトを統一。
上下エジプトの王として確認された王として最古の王である。
首都メンフィス。
BC2650年頃 第3王朝2代目ジェセル王がサッカラに階段ピラミッド造営。最初のピラミッドとなる。 第4王朝最初の王スネフェル王(クフ王の父)が父フニ王(第3王朝最後の王)を受け継ぎ、メイドゥムに崩れピラミッドを建設。
BC2600年頃 スネフェル王がダハシュールに2基のピラミッドを建設。
南側に屈折ピラミッド、北側に赤のピラミッド
BC2550年頃 ギザの3大ピラミッド建設。 クフ王、カフラー王、メンカウラー王が造営。 
BC2040年頃 メンチュヘテプ2世、エジプトを再統一。首都テーベ(現在のルクソール)
BC1900年頃 センウセレト2世がアル・ラフーンにピラミッド(ラフーンのピラミッド)造営
BC1850年頃 センウセレト3世がヌビア、シリア征服。
BC1800年頃 アメンエムハト3世、ファイユーム盆地を開発。
ハワーラのピラミッド造営。
BC1720年頃 アジアの遊牧民ヒクソスによる下エジプト支配。
BC1680年頃 アジアの遊牧民ヒクソスがデルタ地帯のアヴァリスに首都を築く。
BC1565年頃 イアフメス王、ヒクソスを追放し、エジプトを再統一。首都テーベ
BC1520年頃 王家の谷の造営始まる。
BC1500年頃 トトメス1世がユーフラテス河畔まで侵攻、オリエント一円を属州とする。
BC1490年頃 エジプト唯一の女王ハトシェプスト女王の統治。
時代に領土は最大に。
BC1470年頃 トトメス3世によるアナトリア、アジア遠征。ヒッタイトバビロニアを属国化。
トトメス3世はハトシェプスト女王の義理の子。
BC1400年頃 アメンホテプ3世、新王国時代の絶頂期。
BC1365年頃 アメンホテプ4世(アクエンアテン王)、アマルナ宗教改革。
伝統的なアメン神を中心にした多神崇拝を廃止、太陽神アテンの一神崇拝に改める。世界最初の一神教といわれる。
BC1350年頃 ツタンカーメン王、即位、アメン信仰復活。
BC1300年頃 セティ1世によるアジア遠征。
BC1275年頃 カデシュの戦い
モーゼに率いられてヘブライ人の出エジプトがおこる。
BC1270年頃 ラムセス2世、即位(~ BC1213)
ヒッタイトと和平条約。
BC1220年頃 海の民の侵入。
BC1070年頃 アメン神官団の長ヘリホルがテーベに神権国家を立て、上エジプトを支配。
下エジプトはリビア系の王が支配。
BC945年頃 ヌビア、アッシリア、アケメネス朝などの他民族支配によりエジプト衰退が始まる。
BC730年頃 クシュ(ヌビア)王ピイ、エジプト征服。
BC700年頃 シャバカ王、エジプトを再統一
BC671年 アッシリア王エセルハドンの侵入。
BC655年 プサメティコス1世、アッシリアから独立。
BC525年 アケメネス朝ペルシア王カンビュセス2世によるエジプト征服。
BC404年 ペルシアから一時独立。
BC341年 アケメネス朝ペルシア王アルタクセルクセス3世のエジプト再征服。
BC332年 マケドニア王アレクサンドロス大王がエジプトを征服。
BC305年 アレキサンダー大王の死後、マケドニアの将軍がプトレマイオス1世として即位
プトレマイオス朝開始。
BC035年 マケドニアの貴族プトレマイオスがアレクサンドリアを首都と してプトレマイオス朝をおこす。
プトレマイオス1世はアレクサンドロス大王の遺体をアレクサンドリアに葬る。
BC48年 カエサル、アレクサンドリアに上陸。クレオパトラ7世との運命的出会い。
そして二人はローマとエジプトを統合した世界帝国の野望を抱く。
BC30年 クレオパトラ7世、オクタヴィアヌスの率いるローマ軍に敗れて、エジプトはローマ帝国の属州(アエギュプトゥス)となる。
クレオパトラ7世毒蛇に胸を咬ませて自殺。
ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、コプト教会が生まれた
1世紀 幼いイエスを連れた聖母マリアの聖家族がエジプトにやってくる。
(オールドカイロの聖セルギウス教会にイエスと聖母マリアが隠れたとされている)
40年頃 福音書を記した聖マルコがキリスト教をアレクサンドリアに伝える。
2世紀半ば キリスト教が広まる。アレクサンドリアは古代キリスト教の中心地になる。
(現代エジプト人の約1割の人々が信じるコプト教のはじまり)
292年 ディオクレティアヌス帝によってアレクサンドリアにポンペイの柱が立てられる。
(もともとはプトレマイオス朝時代の図書館の柱であった。
4世紀半ば エジプトにキリスト教が定着
(この時よりイスラム教が入ってくる時代までをコプト時代という)
4世紀後半 エジプトに異教禁止令。エジプトの神殿破壊がはじまる。
395年 古代多神教崇拝を禁止・キリスト教に統一 (第一の文化断絶)
550年 フィラエ島のイシス神殿、閉鎖される。(古代のエジプト宗教は一掃される)
639年 イスラム軍の将軍アムル・イブン・アル=アースによって征服され、ウマイヤ朝およびアッバース朝の一部となる。
641年 アムル将軍カイロを占領し、アル=フスタート(現在のカイロ)に首都を築く。
820年 アッバース朝の第7代カリフ アル=マムーンがクフ王のピラミッドの現在の入り口を開ける。当時は本来の入り口は化粧石で覆われていてわからなかった。盗掘坑と名付けられた。
868年 トゥールーン朝成立
969年 チュニジアで興ったファーティマ朝がエジプトを支配。
1154年 十字軍国家のエルサレム王国がファーティマ朝エジプトへ侵攻。
1169年 サラディンがアイユーブ朝を興す。
サラディンは対十字軍の拠点としてカイロのモカッタムの丘にシタデル城塞を築く。
以後ムハンマド=アリー朝時代まで政治の中心となる。
1187年 サラディンが十字軍からエルサレムを奪回
1249年 フランス王国のルイ9世の軍がエジプトに侵攻。
この時、アイユーブ朝のスルタン・サーリフが急死すると、シャジャル・アッ=ドゥッル夫人率いるマムルーク軍団が十字軍を撃退し、その後のクーデターでバフリーヤ・マムルーク朝の女性スルタンに即位した。
1250年 バルクークがクーデターによってサーリフ・ハーッジーを廃し、ブルジー・マムルーク朝を開いた。
マムルーク朝のもとで中央アジアやカフカスなどアラブ世界の外からやってきたマムルーク(奴隷軍人)による支配体制が確立し、250年間続いた。
1517年 オスマン帝国の支配
マルジュ・ダービクの戦いで、オスマン帝国のセリム1世はマムルーク朝を滅ぼしてエジプトを属州としたが、マムルーク支配は温存された。
1798年 ナポレオンのエジプト遠征。
1799年8月 港湾都市ロゼッタでロゼッタ・ストーンの発見
1801年 ロゼッタ・ストーン、にイギリス軍の手に渡る。

近代エジプト

1805年 オスマントルコ帝国のムハンマド・アリ・パシャの下で近代化に着手
1819年 ムハンマド・アリーによってルクソール神殿のオベリスク1本がフランスに寄贈される。
(パリのコンコルド広場に置かれている)
1831年 エジプト・トルコ戦争で、エジプトをオスマン帝国から半ば独立させることに成功。
ムハンマド・アリーによる世襲政権を樹立。
1849年 ムハンマド・アリー死亡
1859年 スエズ運河の工事開始
1869年 スエズ運河の完成
1881年 アフマド・アラービーが中心となって起きた反英運動(アラービー運動)起る。
イギリスによって鎮圧される
1882年 イギリスはアラービー運動を鎮圧し、事実上の保護下におく。
アレクサンドリアの町はことごとく破壊され、現在の町はその後建てられたもの
1914年 第一次世界大戦始まる。 イギリスがエジプトの名目上の宗主国であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。
エジプトは事実上の保護国となる。
1922年2月28日 大戦後、英国より王制の国として独立。エジプト王国が成立。
翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた
イタリアのエジプト侵攻。
1922年 ツタンカーメン王墓発見
1940年

第二次世界大戦後のエジプト

1948年 第1次中東戦争(パレスチナ戦争)起こる。
イスラエルに敗北、経済状況の悪化、ムスリム同胞団などイスラム主義を唱える社会勢力の台頭によって次第に動揺していった。
1952年7月23日 ナセル率いる自由将校団がクーデターを起こしてムハンマド・アリー朝を打倒(エジプト革命)
1953年7月26日 王権の廃絶の調印、共和制へと移行し、エジプト共和国が建国される。
1954年 ナセル大統領が就任
1956年 ナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言。
これによって第2次中東戦争(スエズ戦争)勃発、エジプトは政治的に勝利を収める。
1958年 シリアと連合しての間でアラブ連合共和国結成(1961年に解消)
1967年 第3次中東戦争(6日戦争)。
エジプト、惨敗に終わり、これによりナセル権威の求心力を失う。
スエズ運河が破壊され通行不能になる。(75年に通行再開)
1970年 ナセル、心臓発作で死亡。後任にサダト大統領が就任。
1971年 国名を正式にエジプト・アラブ共和国と改称。
アスワンハイダム完成
1973年10月6日 第4次中東戦争起こる。
(10月6日は軍隊記念日で祝祭日になっている)
1979年 イスラエルと平和条約を締結。その結果,アラブ連盟から追放される。
1981年10月6日 サダト大統領イスラム過激派のジハード団によって暗殺される.
後任に副大統領が第四代大統領に就任。
ムバラク大統領は対米協調外交を進める一方、イスラム主義運動を厳しく弾圧して国内外の安定化をはかるなど、独裁的な政権を30年の長きにわたり維持する。
1982年 シナイ半島がイスラエルから返還される。
1989年 アラブ連盟に復活
1990年8月 イラクによるクウェート侵攻。
この頃より反米・イスラム復古のイスラム原理主義の影響力の拡大。
1992年 カイロ大地震
1993年9月13日 PLOとイスラエルがパレスティナ暫定自治合意協定に調印
1995年9月 パレスティナ拡大自治協定調印
1995年11月4日 イスラエル首相ラビンがユダヤ教徒過激派により暗殺される
1997年9月18日 カイロ博物館前で観光バスが襲撃され、10人死亡。
1997年1月17日 ルクソールでイスラム原理主義者によるテロ事件発生。日本人旅行者を含む62名が死亡。
1999年9月 ムバラク大統領4選
2005年 ムバラク大統領5選
2011年1月 チュニジアで起きた民主化運動が、同じように長期政権を維持してきたエジプトにも飛び火し、30年続いたムバラク政権を崩壊させた(アラブの春)。
2012年7月 軍による暫定的な統治の後にムスリム同胞団のムハンマド・ムルシーが自由選挙を経て大統領に就任する。同国初の文民大統領であったが、次第に強権的な姿勢が目立つようになったほか、イスラム化を推し進めたことが反発を呼び、各地で反政府デモが起こる。
2013年7月3日 軍はクーデターでムルシーの大統領権限を剥奪し、暫定政権を樹立させた。
2014年 アブドゥルファッターハ・エルシーシ大統領就任

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