イギリスの歴史
イギリスの歴史
大陸からの民族の流入
ブリテン島には紀元前5世紀にはケルト系民族(ブリトン人)が渡っていた。
1世紀半ば頃から一時ローマの属州となる。ハドリアヌス帝の長城建設。
4?5世紀頃、大陸からアングロ=サクソン人が侵入し、定住を始める。排除されたブリトン人の一部は現在のフランスのブルターニュ地方に逃れる。6世紀にはアングロ=サクソン人により7つの王国が建てられ、さらに統一王国へと発展。
王朝の変遷
跡継ぎのいなかったアングロ=サクソン朝のエドワード懺悔(ざんげ)王の死後、ノルマンディー(フランス北西部)公であったウィリアム1世がイギリス王位継承権を主張して、1066年、征服に成功(ノルマンコンクエスト)。ノルマン朝を開設した。
1154年、後継者争いでノルマン朝滅亡後、アンジュー伯のアンリがヘンリー2世として即位。プランタジネット朝が始まる。フランスのほぼ西半を領有したままイギリス王となる。彼が初めて王家御用達の認可をしている。
1190年リチャード1世(獅子心王)の十字軍遠征
ジョン王(在位1216?72年)はフランスと争い、フランス内の領土をほとんど失う。悪政を諸侯に攻められ、マグナカルタ(大憲章)に署名。
エドワード3世がフランスの王位継承権を主張し、フランスと百年戦争(1339?1453)をおこす。
この頃、フランドル地方(ベルギーとオランダのあたり)で毛織物工業が発達しており、イギリスは羊毛を生産輸出していた。しかし、宗主国フランスが支配権を強めたためイギリスが反発。戦争中には輸出が止まり、また戦乱を逃れて技術者がイギリスに流入したため、イギリス国内で毛織物工業が発達する結果となった。
政治の混乱
1453年?1485年、ばら戦争。ランカスター家とヨーク家がイングランド王位継承をめぐり戦った。
1483年、エドワード5世、ロンドン塔で怪死
1485年、ヘンリー7世がチューダー朝を開く。
1534年、ヘンリー8世は離婚問題を機にイギリス国教会を設立。国王至上法により教会の首長となり、カトリック修道院を解散。その後メアリー1世はカトリック復権の反動政治を行う。
エリザベス1世(在位1558-1603)は国教会を復活。国政に力を注ぎ、生涯独身を貫いた。
この時代、イギリスはスペインの無敵艦隊を破り(1588年)、東インド会社を設立(1600年)するなど、国際的な競争力を強め、国際金融市場としての地位を築くようになった。
1591年、シェークスピアが最初の戯曲を発表。
1603年、エリザベス女王の死後、親戚のスコットランド国王がジェームズ1世としてイギリスの国王の座につき、スチュアート朝が始まる(スコットランドでは1371年よりスチュアート朝が君臨していた)。
1640?60年、ピューリタン革命。専制政治が議会との衝突を生み、チャールズ1世は処刑され、一時共和制に。しかしその後、政府は混乱、チャールズ2世が亡命先のフランスから帰国して王政復古となる。
1666年、ロンドン大火。4日間に渡りシティは炎上した。
1668年、名誉革命。フランスの援助を頼りにカトリック主義政策を断行したジェームズ2世に対し、議会は国王の長女のメアリーとその夫のオランダ総督オレンジ公ウィリアム2世を擁立。ジェームズ2世はフランスに亡命。無血の革命に成功した。
近代的インフラの整備
1714年、ドイツのハノーファー(英語でハノーバー)選帝がジョージ1世として王位につき、ハノーバー朝が始まる。政務は首相に任され、議会をベースとした責任内閣制が生まれ、立憲制、議会制民主主義の基礎が築かれることとなった。
1769年、ワットが蒸気機関を発明。綿工業を中心に産業革命が起こる。資本主義が進む。
1775-1783年、アメリカ独立戦争
1805年、ナポレオン戦争におけるトラファルガー海戦でフランススペイン連合を撃破。制海権を握り、ヨーロッパ内での地位を確固たるものにする。
ビクトリア女王は1837-1901年の長期に渡り在位し、帝国の黄金時代を形作った。産業革命が進み、資本主義が発展した。貴族文化が庶民に融合。この時期の建築物、家具などはビクトリア様式で今でも数多く残っている。
近代化が加速する。1830年リバプール-マンチェスター間鉄道開通。1851年ロンドンで第1回万国博覧会開催。1863年ロンドンに世界初の地下鉄開通。
1840?1842年、アヘン戦争
現代の動き
1908年、ロンドンオリンピック(第4回)。
1914?18年、第1次世界大戦。
1939?45年、第2次世界大戦。
1948年、ロンドンオリンピック(第14回。第13回は大戦で中止)
1952年、エリザベス2世女王即位。
1973年、EC加盟
1994年、英仏海峡トンネル開通。
2019年、EU脱退