マルサラ Marsala
シチリア州トラパニ県
人口 約8万人
標高12 m
概要
シチリア島の西端、ボエオ岬 Capo Boeoに位置する。
アフリカ大陸まで約150㎞に近さにある。
紀元前の古代カルタゴが築いた街で、町の名前はアラビア語に由来する。
町全体がアフリカの町のように真つ白な姿をしている。
現在の名称はアラビア語の「アリ(またはアッラー)の港」を意味する「マルサ」が語源で,イスラムの名残は市中心部の、ルネッサンス様式とバロック建築がみられる砦の四辺形内の都市構造にもうかがえる。
その後、フェニキア人によってシチリア海峡とその航路の要衝であるこの地を発展させ、ていった。
また、この地は1860年にガリバルディが千人隊を引き連れて上陸した地でもある。
ガリバルディが、ピエモンテ地方とロンバルディア地方から赤シャツを身にまとった千人の義勇兵を率いて1860年5月11日の朝にシチリアの地に踏んだ。まさにこのマルサーラの港であった。
「赤シャツ千人旅団の遠征」がブルボン王朝の打倒につながり、南イタリアを反動政権の支配から解放することになるのである。
ここから一気にナポリを経てイタリア北上し、1861年のイタリア統一のきっかけとなったのである。
マルサラの町のいたるところにガリバルディの肖像が立つ。
町の外れ、ヴィラ・カヴアロッティという名の公園の近くにある「ピアッツア・デラ・ヴィットリア」(勝利の広場)がマルサーラ市民の、お気に入りの出会いの場所である。
マルサラを何といっても有名にしているのは、マルサラワインである。
アルコール度の高い酒精強化ワインで、町を取り囲む250km2のブドウ畑からは、甘口のデザートワインを醸造して世界各地に輸出されている。
アクセス
鉄道
パレルモ中央駅からローカル列車でトラパニTrapani行きでマルサラMaesala駅まで約3時間10分。一日数本運行。
トラパニTrapani行きはマルサラ経由とトラパニ直通がある。直通便はマルサラにはいかない。
マルサラワイン
マルサラワインは、醸造過程で酒精(アルコール)を添加することでアルコール度数を高めた酒精強化ワインである。
気温が高く温度管理が難しいブドウ栽培地域において、酸化・腐敗防止など保存性を高めるために造られた。とくに、船便による遠国への輸出にも向いていたため、スペイン(シェリー<マデイラワイン)やポルトガル(ポルトワイン)がイギリスへ輸出するために発達していった。
イタリアのマルサラワインは1773年、イギリスの商人ジョン・ウッドハウスJohn Woodhouseがマルサラでマデイラワインをまねて作ったのが最初とされる。その輸出を始めたときの積み出し港であるこの土地の名を取って名付けられたものである。
いずれも甘口の食後酒(デザートワイン)だが、熟成度合によって3つのカテゴリーがある。
フィーネ : 4ヶ月以上熟成。甘口。
スペリオーレ : 2年以上熟成。辛口が主体。
ヴェルジーネ : 5年以上熟成。辛口。
近郊マザラ・デル・ヴァツロヘ行く途中(ポポロ広場からバスNol6)には、ワイナリーが点在している。事前に連絡しておけば、醸造所の中身見学し、マルサーラ・ワインの製造工程を説明してもらえるほか、試飲もさせてくれる。最高級のマルサーラ・ワインを買うこともできる。
この周辺の主なワイナリーは
フローリオ Lungomare Florio Tel:0923-78-11-11
ペッレグリー J Pellegrino
ラッロ Rallo
マヴィス Mavis
イントルチア Intorcia
などがある。滞在しているホテルで連絡してもらうといい。
マルサラの見どころ
レプブリカ広場 Piazza della Repubblica
町の中心の広場で,ここにはかつてのピサ人の「開廊」跡地に1576年着工され,
18世紀に完成した上院Palazzo senatorioがあり,拱廊式のファサードと,四角形の時計塔を備えている。
大聖堂 Duomo
レプブリカ広場に面している。
ノルマン人が建立した建物の上に1628年に着工され,18世紀前半に完成している。
ただし壮大なファサードが完成したのは1956年のこと。
内部にはガジーニー族とその一派による彫刻(16世紀)が見られ,なかでも右翼廊のドメニコ・ガジーニ作の「民衆の聖母Madonna del Popolo」(1490年),主礼拝堂の左手の礼拝堂にある,アントネッロ・ガジーニが完成した人理石のレリーフつき板絵(1532年)が見もの。
聖堂内陣右手の礼拝堂にある15世紀の「救済の聖母 Madonna del Soccorso」はジュリアーノ・マンチーノの作とされている。
タペストリー博物館 Museo degli Arazzi
ドゥオモの後陣部の背後(ガッラッファ通りvia Garraffa 57番地)にある数部屋があてられており,スペイン王フェリペ2世からメッシーナの大司教に贈られ,さらに1589年にマルサラのマードレ教会に寄贈された16世紀の貴重この上ない8枚のフランドル製のタペストリーが展示されている。
スペインで長く活躍したフランドル人画家ペドロ・デ・カンパーニャPedro Campa'faの作とされ,ユダヤ民族に対するウェスパシアヌス帝とティトゥス帝の戦いに題材を得ている。
ガリバルディ門 Porta Garibaldi
ドゥオモの左手から直線に延びているガリバルディ通りvia Garibaldiを進むと着く。
1685年に再建され,かつては海の門 Porta del Mareと呼ばれていた。
市役所 Municipio
ガリバルディ門の近くにある1576~77年にスペイン軍の兵舎として建てられた背の低い建物である。
アッドロラータ教会 Chiesa dell'Addolorata
ガリバルディ門の右手に、円形フランの18世紀の正面が見える。
5月11日通り Via XI Maggio
かつての「カッサロ」の跡だが,バロック期に直線状に直された。
街の大動脈であり,これに面して16~18世紀の邸館が多数建ち並んでいる。
旧サン・ピエトロ修道院 Monastero di S.Pietro
16世紀のもので、ウンディチ・マッジヨ(5月11日)通りのレプブリカ広場の先にあり,マヨルカ焼の尖塔と絢爛たる内部をもつ教会堂を特徴としている。
ヌオーヴア(新)門porta Nuova
5月11日通りの突き当たりにある18世紀の建造物。
この先にヴィットリア広場 Piazza della Vittoria が開けている。
バリオ・アンセルミ州立考古学博物館
Museo Archeologico Regionale Baglio Anselmi
5月11日通り Via XI Maggioをヴィツトリア広場 Piazza della Vittoria まで行き、左折してN・サウロ通りVia N Sauroを進む。
海に面した典型的なワイン農場のアンセルミ農場baglio Anselmi内に設けられている。
第一次ポエニ戦争で活躍したと思われるカルタゴの軍艦(1971年マルサーラの北の沖合で発見された)が一部場元され、展示されているほか、アンフォラと呼ばれる両手の付いた壺など、マルサーラやその周辺で発掘された遺物が見られる。
ローマ時代の集合住宅 Insula romana
1939年,ボエオ岬の近くで,運動施設の建設工事中にローマ時代の「集合住宅」跡が発見された。
発掘の結果出土した主なものは3世紀の別荘1軒と,その南の,それよりは小さ<建造年代も後の家屋2軒である。
大きいほうの屋敷は四柱式の室内中庭と広い柱廊中庭の周りに多くの部屋を配置した造りで,その左手に浴場用の部屋があり,ほぼ全室に幾何学模様や人物の描かれた多色モザイクが施されている。水道設備と暖房装置の跡が残っている。考古学地域からはこのほか商店,フェニキア風の楕円形の井戸,城壁の跡,それに初期キリスト教時代の死者の町のおびただしい墳墓が出土している。
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会 S.Giovanni Battista
ぼつんと建っている1555年創建のこの小教会は,別名サン・ジョヴアンニ・アル・ボエオS. Giovanni a1 Boeo教会ともいい,内部にはアントネツロ・ガジーニ作とされる16世紀の「洗礼者聖ヨハネBattista」像がある。
教会から下へ降りたところのシビツラ(巫女)の洞窟 Grotta della Sibillaは巫女リリベターナ Lilibetanaがかつて暮らし,そして葬られた場所とされており,3世紀のローマ時代のモザイクの断片とフレスコ画の痕跡がある。