サクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院
Sarcra di San Michele
概要
トリノの北西約42Kmのスザ渓谷val di Susa出口の眺めのよいところにそびえる。
標高962mのピルキリアーノ山monte Pirchirianoの頂上と一体になった建物と廃墟の集まり。ピエモンテの最も面白い建造物の一つ。
キウーザ大修道院 abbazia della Chiusaとも呼ばれる。
ピエモンテ州とロンバルディア州のサクリ・モンティとして2003年に世界文化遺産に登録されている。サクリ・モンティは「聖なる山」という意味で、宗教建築物の一種を示す。
ピエモンテとロンバルディアには15世紀と16世紀に宗教的巡礼地として多くの修道院が建造された。サクラ・ディ・サン・ミケーレもその一つである。
大天使ミケーレが隠者ジャバンニの枕元に立ち、「信仰の証しとして、教会をたてるようにと囁いていたので、木材を集めた。しかし、鳩が勝手に別の場所、標高962mのピルキアーノ山に運んでしまった。その場所には、「火の玉」が上がり、「建築すべき場所」を示していたので、ジョバンニはその木材で教会を建てたと伝えられている。
現在ある石造りのものは、10世紀のイタリア人修道士グリエルモ・ダ・ヴォルピアーノ Guglielmo da Volpiano の設計という。フランスのモン・サン・ミッシェルを設計したといわれている。イタリア語でサン・ミケーレはフランス語でサン・ミッシェルでとなる。
その後、波乱に富んだ変遷を経て何度も改修され、サクラ・ディ・・サン・ミケーレはベネディクト派修道院の総本山となり、最盛期(12世紀)には140の修道院を傘下に収めていた。今でも巡礼者が絶えない。
修道院はベネディクト派から,今はロズミーニのカリタス会によって経営管理されている。
道に沿っているのは,おそらく11世紀の8角形の小さな教会の廃墟で,通称セポルクロ・デイ・モーナチsepolcro dei Monaciと呼ばれる修道士たちの墓である。
この修道院は断崖絶壁の上にあり、いわば要塞状になっているようで、入口は階段の上にあり、石段を一歩一歩のぼりつめなければたどりつかない。教会後陣部分の下の堂々とした建物につくられた扉口へと続く。
岩の上の急なモルティ坂を登り、死者の階段 scalone dei Morti を登り、ロマネスク様式のレリーフがふんだんに施されたゾディーアコ門 porta dello Zodiaco 門(1120年)に至ると、ゴシック様式の扉口がある教会の右側にやっとたどりつく。
教会の内部は13世紀ゴシック様式の柱のある3身廊形式で,後陣は12世紀ロマネスク様式となっている。主祭壇の上には,デフェンデンテ・フェッラーリDefendente Ferrari作の3幅対祭壇画がある。
身廊のいたる所や古い聖歌隊席には,サヴォイア家の君主達の近代になってからの石棺がある。15~16世紀の絵画とフレスコ画など様々な絵画が鑑賞できる。
中央の身廊からは3つの小祭室(9または10,11,12世紀)からなるクリプトに降りられる。
ここは重要な権力の中心地であるとともに文化的な拠点でもあり数多い写本を持つ図書室と優れた学校もあり、ウンベルト・エコーの小説「薔薇の名前」のインスピレーションを与えた場所である。
教会左側のテラスからは高い山頂が広がり、晴れていれば、遠方にトリノの町までを見下ろすこともできる。
10~3月は平日9時~12時30分と15時~17時,祝日9時~12時と14時30分~17時,4~9月は平日9時~12時30分と15時~18時,祝日9時~12時と15時~18時。
アクセス
最寄りの町は、トリノから列車で26kmのアヴィリアーナAvigliana。
町から修道院までバス(1日約3本)が出ている。
あるいは、列車でそのままピルキリアーノ山麓の村サンタンブロージオSant'Ambrogioまで行き、そこから険しい山道を90分かけて登ってもよい。
出発する前に、トリノの観光案内所またはアヴィリアーナの観光案内所で、見学できる時間を確認した方がよい。