セビリヤ Sevilla
概要
マドリッドから550km、マラガ217km、コルドバから138km、リスボン417 km
スペイン第4、そしてアンダルシア最大の都会。
市内中心地区をグアダルキビル川が流れている。
1519年8月10日、マゼランの船隊5隻がセビリアを出帆したが、そのうちの1隻ビクトリア号が18名を乗せて3年後の1522年9月8日世界一周を成し遂げた。アメリカ大陸への大航海時代も多くはここから船出した。1614年伊達政宗の遣欧使節、支倉常長が初めてヨーロッパの土を踏んだのも、このセビりやである。
セビーリャは新大陸発見以来、交易の中心となり、大陸から金・銀が運ばれてくる繁栄の港であった。町は酒と女と金がうごめく町となり、ドンファンが大勢いても不思議ではないところであった。アンダルシアという南国特有の気質は、暑くて長い夜を思う存分官能的に演出させただろう。作曲家モーツァルトやビゼーがセビーリャを舞台にオペラを作ったというのも繁栄の極みにあったセビーリャ王国なればこそだろう。
1992年に万国博覧会が開催されたグアダルキビル川沿いの会場は、現在跡地利用としてテーマパークと国際見本市展示会場ができており、さらに大型コンベンションができる国際会議場付きの豪華ホテルも建てられるなど有効活用されている。
オペラとセビーリャ
セビーリャが舞台となったオペラには以下のものがあげられる。
ビゼー「カルメン」
主人公カルメンが働いていたタバコ工場は現在,大学となっている.
ロッシーニ「セビリアの理髪師」
モーツアルト「フィガロの結婚」
「セビリアの理髪師」の後日談ということになっている。男のエゴを浮気心としてコミカルに描いたもの。
モーツアルト「ドオ・ジョバンニ」
ドン・ジョバンニはイタリア語で、スペイン語ではドン・ファン。セビーリャが舞台。神学的なテーマのもと、征服欲と背徳とをコミカルに表現している。
空 港
セビリア空港(SVQ)
鉄 道
鉄道駅は現在1つにまとめられ、町の北寄りにあるサンタ・フスタから発着する
主な見どころ
大聖堂
奥行き128m、幅90m、中央交差部分の高さ56m。ローマのサンピエトロ寺院、ロンドンのセントピーター寺院に次ぐ世界で3番めに大きい聖堂。コロンブスの墓、1894年にキューバから送られてきた遺灰を納めている。
ヒラルダの塔
高さ93m。711年から1248年までイスラムの支配下にあり、他のアンダルシア同様にその影響を強く受けることとなるが、当時のモスクの鐘楼ミナレットだったものをそのままキリスト教徒が利用したもの。
レンガを積み上げた鐘楼の基底は一辺が13.6mの四角形で、上部へは階段ではなく、馬で登るためにスロープになっており、高さ70mまで行くと展望台がある。イスラムのミナレットとして存在していたものだが、キリスト教徒が大小28個の鐘を載せ、さらにその上に女性像を載せた風見(ヒラルダ)の役をさせる塔(93m)を作った。
黄金の塔
1220年イスラム教徒により建設されたもの。金色のタイルが前面に張られていた。
隣接してマエストランサ・オペラ劇場が完成した
スペイン広場
マリア・ルイサ公園の中に1929年にスペイン・アメリカ博覧会が開かれたときに建てられた大きな半円形の建物がある。その半円のアーチ内に囲まれた広場に面したところに58に区切られた手すりのついたベンチが造られ、それぞれにスペイン各県の特徴や歴史を描いたタイルが貼り付けてある。
セビリアの春祭り(フェリア・デ・アブリル)
(セビジャーナス)
「セビリアの女性」は美人の代名詞になっているが,同じな前の踊りもある
-アンダルシア地方の代表的な祭りで、日本人にもよく知られている。女性はいわゆるフラメンコスタイルで着飾り、男性は乗馬服姿でエスコートする。とても華やかで、スペインの祭りのイメージにピッタリだ。夜を徹して飲み、踊り、朝になってようやく疲れ切って帰宅するパターンが続く典型的な「夜型」で、市民の熱狂度は最大級である。
-祭りの専用会場にはカセータと呼ばれる小屋が多数設置され、そこで飲めや歌えの宴会が開かれる。古くから行われていた牧畜市に由来し、関係者が寝泊まりしていたテント小屋が発展したものだ。カセータの多くは会員制であり、飛び込みで勝手には入れない。
-遊園地も仮設としては最大規模で、各種乗り物や見せ物小屋が多数出る。
ステージでは歌や踊りのショーが行われるが、皆で踊っているものはタブラオで見るフラメンコとは違い、セビーリャ市民の舞踊として体系づけたセビリャーナスと呼ばれるものである。TA