プラセンシア Plasencia
概要
標高355m.人口約37000人
カセレスの北約80km。
城壁に囲まれたカセレス県第2の町。
クレドス山脈などイベリア半島中央部の花崗岩の岩峰がそそりたつ山並のふもとに位置する。ヘルテ川 Rro Jerteに囲まれた高台につくられている。
アラブ支配時代はベルベル人の小村だったが,1178年のアルフォンソ8世による奪回以降は,スペイン西部の重要な防衛拠点となった。
2月から7月にかけて、コウノトリが多数やって来る。
旧市街地 Barrio Viejo
気品のあるファサードが立ち並び、錬鉄製のバルコニーのある道路がいくつもある。散策の出発点は大聖堂の広場やプラサ・マヨル(マヨル広場)Plaza Mayorを出発地点にするといい。
大聖堂を出発するとすぐ脇に面白い窓のある首席司祭の家 Casa del Deanや現在は裁判所になっているトルヒリョ博士の館 Casa del Dr.Trujilloを右に見て行くとゴシック様式のサン・ニコラス教会 Iglesia de San Nicolasにたどりつく。
その向かいには美しいファサードをもつニつの塔の館 Casa de las Dos Torresがある。
さらにまっすぐ進むと、側面にどっしりした塔のあるミラベル宮に行き着く。
この宮殿には美しいタイルで段がつけられた二層になっているみごとなパティオ(中庭)と狩猟博物館がある。
宮殿の下の整備された通路は、元の城壁近くの庶民的な地区へと通じている。階段状の小路、白い家並、窓辺の洗濯ものなどが、すでに南の都市特有の光景を示している。
サンチヨ・ポロ通り calle de Sancho Poloがその特色をよく表している。
そこから右に折れると、形の不規則なプラサ・マヨルPlaza Mayorに戻る。柱廊に囲まれた広場はにぎわっていて、町の中心となっている。
見どころ
大聖堂 Cathedral
時代の異なる新旧2つの聖堂で構成されている。
13世紀から14世紀にロマネスク・ゴシック様式の大聖堂が建てられた。
15世紀末に後陣が取り壊され、より斬新な新しい大聖堂 が建設されるはずだったが、実現したのは内陣とトランセプトだけであった。
内部にはプラテレスコ様式の装飾豊かな北の正面入り口から入ることカーできる。
左翼廊の奥にある扉は旧大聖堂(現在はサンタ=マリア教区教会)に通じており、そこには、ゴシック様式のオジーブやロマネスク様式の柱頭の見られる内庭回廊、魚鱗模様のピラミッド型鐘楼のせいで外からは見えない美しい円天井をトロンプカー支える参事会室があり、身廊のいくつかの梁間には宗教美術品が納められ、訪れる人も多い。
新しい大聖堂の内部には、すらりとした柱、ボールトを網目状に走る細いリブが見られ、フアン・デ・アラパ、デイエゴ・デ・シロ工、アロンソ・デ・コパルピアスといった有名な建築家の見事な技量を証明している。
グレコリオ・エルナンデス(17世紀)の彫像で飾られたレターブルretabloと、1520年にロドリーゴ・アレマンの彫刻がある聖職者席 sillerraに注目したい。
下段の右側部分の背もたれや腰支えには旧約聖書のいくつかの場面、左側部分には風俗画の題材が描かれている。
近 郊
ユステの修道院 Monasterio de Yuste
プラセンシアの東47km。
ハランデイーヤ・デう・ベラ村にあるカルロス5世の隠遁所。
皇帝カール5世(カルロス10世)は政治に疲れ、1556年に退位した後にヒエロニムス会のこの質素で美しい修道院に引篭もった。
カール5世は1558年9月21日、この地に没した。
この村の高台にはカルロス1世の晩年の居城を改装したパラドールが建つ。
周囲の田園風景の澄みきった空気には人を捉えて離さない魅力がある。
修道院は、独立戦争(1808~1814)と修道会財産解放により荒廃していたが、部分的に修復された。カール五世の住んでいた小館を訪れると、そこには食堂と、皇帝カミベッドから出ずに祈りを捧げられるように教会と隣接してつくられた居室が見られる。教会はゴシック様式で建てられており、ゴシック様式とプラテレスコ様式の二つの美しい回廊がある。