イタリカ Italica
概要
セビリアから北西8kmのサンティポールの町の郊外にある。2㎞ほどに位置するローマ遺跡。
ローマ帝国がイタリア半島の外に初めて築いた都市の遺跡。
紀元前3世紀、イベリア半島は北アフリカを拠点とするカルタゴ勢力下にあった。
カルタゴの名将ハンニバルを擁し、地中海の覇権をめぐってローマと戦っていた。
そのカルタゴを破ったローマの将軍スキピオはローマの若き名将。
戦いで、負傷した兵士や退役兵の居住地として街を作った。それがイタリカである。
円形闘技場
イベリア半島最大級、収容人員3万人以上。
コロッセオは収容人員 5万人
地下にはコロッセオと同じく、舞台装置を設けられ、猛獣などがスタンバイしていた。
このイタリカが今にその名を残すには理由がある。それはこの属州の地が5賢帝と呼ばれる皇帝最盛期のうち、2人に関係がある場所だからだ。
5賢帝
ネルヴァ
トライアヌス
ハドリアヌス
アントニウス・ピウス
マルクス・アウレリウス
この町に関係のある2人は、
トライアヌスとハドリアヌス
トライアヌスはここで生まれた。ローマ帝国が最大領土を誇ったのはトライアヌスン時代だった。自ら将軍として戦地に赴き、ダキア(ルーマニア)を征服。続いて、アルメニア、メソポタミアなど、西アジア、中東も領土に組み込んだのだった。
ハドリアヌス;
トライアヌスの後を継いだのがハドリアヌス。
彼は皇帝の足ですべての属州を回った人物だった。このまま領土を広げていっていいのだろうか。いつかどこからか崩れ落ちてくるのではないかと考えていた。旅する皇帝と呼ばれていたハドリアヌス。最大領土となっていた帝国の領土全域をして回り、拡大しすぎた領土を手放した。
2人の名君ゆかりの地となったのが、属州ヒスパニアのイタリカだった。