ゲルニカ Gernika
バスク地方
マドリッドから429km、ビルバオから36km、サン・セバスティアンから西へ84km、ビトリアから69km
人口約1万6千人
概要
現在マドリッドの国立ソフィア王妃芸術センターに展示されている、この地をタイトルにしたピカソの絵で有名である。
1336年に建設された町。
今も残る「ゲルニカの木」は、樹齢6千年を筆頭とした親子3代の3本の樫の木である。
サンタ・マリア・デ・ラ・アンティグア教会内のこの樫の木の下で封建領土のおきてを神に誓ったときからバスク人にとっての聖地となった。以後バスク人が民会を開き、15世紀以後スペイン王国の王たちがバスクの法を守ることを誓ってきた。
1937年4月26日、突然ドイツ軍の爆撃機が地中海沿岸の港湾やゲルニカを襲った。この爆撃で当時人口3千人ほどのこの村から2千人近い死者を出し、ゲルニカは廃墟と化してしまった。
現在「ゲルニカの木」の隣りに議会(カサ・デ・フンタス)が建っているが、この爆撃から逃れた数少ない建物である。
1936年に始まったフランコ政権と人民戦線の内乱にナチスドイツ軍が干渉していた、ということになっているが、反骨精神旺盛でフランコ政権に反旗を翻していたバスク民族に対してフランコがナチスドイツ軍に要請したというのが定説。
つまりスペイン内乱は市民戦争ではなく、ファシズムと民主主義の代理戦争であり、第2次世界大戦の前哨戦でもあった。
この急襲爆撃に怒ったピカソが「ゲルニカ」を描き、当時開催されたパリ万博に展示してその憤りを訴えたものである。
平和博物館が市庁舎広場に面して建っている。当時の悲惨な状況を伝えている。
アクセス
ビルバオ/アチューリ駅から私鉄電車でBermeo行きで50分、1時間おきに運行