コリア・デル・リオ Coria del Rio


概要

ハポン(日本)姓の人々が暮らす町
1613年(慶長18年)、石巻を出港した支倉常長率いる慶長遣欧使節団は、太平洋を横断し、メキシコを経由して、大西洋を横断し、ほぼ一年かけてスペインに到着した。

1614年、彼らは長い航海を経て、このコリア・デル・リオで初めてスペイン本土の土を踏踏むこととなった。
大西洋から地中海へ入るところに河口のあるグアダルキビル河をさかのぼり、コリア・デル・リオに当時税関があった。一行のうち、大西洋を渡ってここまで同行したのは約30人。この町に数日間滞在した。
グアダルキビル川沿いにカルロス・デ・メサ公園がある。
宮城県から寄贈された支倉常長の銅像が立っている。
ここに小さな教会が建つ。エルミタ デ サンフアン バウティスタといって、支倉使節団が石巻を出港したときに乗ったガレオン船と同じ名前。支倉常長はこの教会に滞在した。
使節団一行のうち、数名がここからセビリアを経て、国王のいるマドリッドへと進む。

支倉常長は伊達政宗の悲願であった貿易協定の締結を懇願するも国王フェリペ3世から色よい返事がもらえず、ローマ法王に頼み込みに行くが、ここでも目的を達せず、スペインに戻り、ついに帰国をする。いずれも日本でキリスト教徒迫害の情報が入っていたからである。
町の中心には小さな市役所があり、その正面にはスペイン国旗やコリア・デル・リオ市旗とともに、日本の国旗が掲げられている。
市役所の1階には観光案内所があり、日本語のパンフレットも用意されている。
一行のうち幾人かがスペインに残った。
この町は、日本から使節団に随行してきたヘスス神父の出身地だったため、地域社会につてがあり生活の展望があったというのが主な理由らしい。

この町でハポン姓の人々は、自らが日本の侍の子孫であることを固く信じていて、それを誇りに思いながら生きている。

町には漢字で書かれた看板がある店もある。たとえば市役所近くの理髪店には、日本語で“理髪”と書かれた看板がある。

スペインの苗字は出身地に由来するものが多いが、支倉常長と一緒にやってきた侍たちが、家族を築き、苗字が必要になって、祖国の「日本」を名乗ったという。
町の教会にある古い洗礼台帳に記録が残されている。そこには、生まれた子供の父方の苗字としてハポンと記されている。最も古いものが1667年にカタリーナ・マルティン・ハポンという女の子の洗礼記録である。

2011年3月11日、東日本大震災のときには、震災で先祖の地が大災害に見舞われたため、支倉の像の前で追悼式が行われた。
自分の先祖だと信じている人たちが犠牲者の多いことから。

コリアデルリオフォト















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