ジョージアの文化伝統・芸能・音楽
ニコ・ピロスマニ Niko Pirosmani
この名前は知らなくても、多くは日本の「百万本のばら」という歌は知っているだろう。
本名ニコ・ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili,
1862年~1918年4月9日
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したグルジアの画家。
彼はグルジア東部のミルザーニ Mirzaaniの村で生まれた。後にトビリシに出て、グルジア鉄道で働いたり自分の商店を持ったりしたが、体が弱いうえに人付き合いがうまく行かなかったため長続きしなかった。その後、独学で習得した絵を描くことに専念するようになった。
彼はプリミティヴィスム(原始主義)あるいは素朴派(ナイーブ・アート)の画家に分類されており、彼の絵の多くは荒野にたたずむ動物たちや食卓を囲むグルジアの人々を描いたものである。彼はグルジアを流浪しながら絵を描いてその日暮らしを続けた。
一旦はロシア美術界から注目され名が知られるようになったが、そのプリミティヴな画風ゆえに新聞などから幼稚な絵だという非難を浴びてしまった。
失意の彼は1918年、貧困のうちに死去したが、死後グルジアでは国民的画家として愛されるようになったほか、ロシアをはじめとした各国でも有名である。
ソ連(グルジア)では1969年に「放浪の画家ピロスマニ」、1986年に「ピロスマニのアラベスク」でその生涯が映画化されている。
ピロスマニは、1894年に彼の町を訪れたフランス人女優マルガリータとのロマンチックな出会いで知られている。彼女を深く愛したピロスマニは、その愛を示すために彼女の泊まるホテルの前の広場を花で埋め尽くしたという。やがて、放浪の旅にでたピロスマニは15年後に『女優マルガリータ』を描いた。
この伝説がアンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩によって有名になり、後に日本でも「百万本のバラ」として知られる曲が付けられてヒットした。
この曲の原曲はラトビアの作曲家のもので、当時ソ連の圧政下で苦しんでいたラトビア市民の歌だったものをロシア版にされてピロスマニを謳った詩の曲となった。
(参考資料:wikipedia)