歴史

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668年 アラブ人によるモロッコ征服が始まり、イスラム教の信仰が始まる。
710年 タリク・イブン・ジャドがスペインとヨーロッパを征服した。
740年 モロッコ人が新しい宗教であるイスラム教に改宗し始めた。
786年 予言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫であるイドリス1世が一族の
虐殺から逃れるためバクダッドからモロッコに避難。
788年 モロッコ中央部のベルベル人により「イマーム」として認められる。
789年 エジプトから亡命してきたイドリス1世がベルベル人とともに、
イドリス朝を興し、勢力を拡大していった。
792年 イドリス朝の勢力がアラブの脅威となり、イドリス1世は暗殺されてしまう。
808年 イドリス1世没後もイドリス朝イドリス2世の下でフェスが造営され、
首都をフェズに移し、2世紀にわたって、モロッコを統治した。
イドリス2世の時代にスペインからアラブ人の移住者がフェスに定住した。
974年 イドリス2世の死後、イドリス朝は分裂し、勢力が衰え、
ハワーリジュ派のベルベル人の蜂起が相次いだ。
985年 イドリス朝はスペインの後ウマイヤ朝に滅ぼされた。
一方、サハラ交易で栄えたシジルマサにはミドラール朝が成立した。
1055年 後ウマイヤ朝、遊牧民のベルベル人によるムラビト朝によって滅ぼされた。
1069年 脱イスラムを目指した遊牧民のベルベル人集団によるムラビト朝が、
フェズを征服、
1070年 ムラビト朝、マラケシュに首都を建設。
その後、西アルジェリアからスペインまで勢力を拡大。
1121年 マラケシュの南のティンマルでイブン・トゥマルトがイスラムの
正当性を主張し、ムラビト朝に対し反乱が起き、ムラビト朝が倒れ、ムワッヒド朝を興した。
ムワッヒド朝は、リビア東部から、スペインのアンダルシア地方までを支配下に置いた。
ムワッヒド朝の末期にはスペインで軍事的失敗が重なり、王国は現在のモロッコ、
アルジェリア、チュニジアの3つの地方に分裂、弱体化する。
1258年 アルジェリア出身のベルベル人のマリーン族がムワッヒド朝の弱体化を
好機にフェズを首都に定め、マリーン朝を興した。
1348年 ペストの流行に加えトレムセンとチュニスなど各地で反乱が起り、
マリーン王朝は衰退していく。
1465年 200年続いたが、ついにマリーン朝滅亡してしまう。
その後もいくつものベルベル王朝が興亡を繰り返す。
1525年 マラケシュを攻め落として新しい王朝サアード朝を確立し、モロッコを統一。
その後もサアード朝はポルトガル人を追い出し、領土を奪回していった。
1578年 「三王の戦い」に勝利した「黄金王」アフメド・エルマンスールは
安全な黄金のルートを確立。
1602年 アフメド・エルマンスール死去、サアード朝の分裂につながる。
1666年 アラウィー朝 サハラ砂漠の玄関口、リッサニ周辺のフェラリ族により、
モロッコ統一し、メクネスに首都をおいてアラウィー朝を建てる。
ヨーロッパ列強と国交を結び、19世紀初頭まで繁栄する。
1830年 フランスがアルジェリアを占領。
1904年 英仏協商で、フランスがモロッコにおける優越権を獲得。
これに反対するドイツが1905年、1911年の2度にわたってフランスを威嚇。
1912年 モロッコはフランスの保護国となり、ラバトを首都と定める。
仏西条約で北部はスペインの支配下に入る。
現在でも北部のセウタとメリリャの2都市はスペインの領土として残っている。
1930年 民族運動が盛んになる。
1944年 独立党が結成される。
1956年 第二次世界大戦後、フランス、スペインからの独立を勝ち取る。
独立を指揮したベン・ユーセフがムハンマド5世と称して
新国家建設にとりかかった。1961年死去。
1962年 ハッサン2世が即位。立憲王政の憲法制定。
1967年 イスラエルと6日間戦争の結果、アラブ世界に復帰。
1969年 スペインが「飛び地領」のイフニをモロッコに返還。
1975.10 西サハラ非武装で越境大行進 「緑の行進」を行う。
1989.2 アラブ・マグレブ連合条約調印
1991.9 西サハラ「停戦」成立
1992.9 憲法改正
1994.6 フィラリ内閣
1996.9 憲法改正に係わる国民投票
1997.11 衆議院選挙実施
1997.12 衆議院選挙実施
1998.3 ユスフィ内閣
1999.7 ハッサン2世死去。 長男のシディ・ムハンマド皇太子がムハンマド6世として即位。
2002.9 衆議院選挙実施
2002.11 ジェットゥ内閣発足
2003.5 ムーレイ・アル・ハッサン皇太子誕生