カルカラ Kalkara(日本海軍戦没者の墓)
概要
カルカラKalkaraの日本海軍戦没者の墓
マルタ島は、第一次世界大戦中、地中海に出没するドイツのUポートのため、海上が封鎖され物資が欠乏して日々の生活にも困る状態にあった。
当時、イギリスと同盟国の関係にあった日本は、イギリスから海軍派遣の要請を受けて巡洋艦「明石」を旗艦とする駆逐艦8隻の艦隊を出動させ、英国艦隊の援護とUポートとの戦闘に当たった。
その際、駆逐艦「榊」は、敵の魚雷攻撃により大損傷を受けながらも、自分でバレッタへ奇跡的に帰港した。
しかし、この戦闘により、乗組員59名の命が失われた。
戦後の大正8年、これらの戦死者の霊を慰めるため、マルタ島スリーシティーズの西の端にあるカルカラの外人墓地の中央正面に忠霊碑が建立された。
第二次大戦中、爆撃を受けて破壊されたが、昭和48年、外務省と自衛隊の計いによって新たに再建され、今日、高さ約6mの純白の大理石造りの忠霊碑が再建された。
昭和天皇は、皇太子時代の1921年に参られている。
近頃では、日本人旅行者も増えている。(資料:mta)
アクセス
ヴィットリオーザ(Vittoriosa)の北、カルカラのにある「外人墓地(「海軍墓地」ともいう)」
ヴァレッタに滞在している場合にはタクシーで行くのがいい。
バスはヴァレッタ市内から4番で約40分。