アイルランドの料理・レストラン・飲食材
アイルランドのお酒
(アイルランドのパブとギネスビール)
アイルランドの首都ダブリンだけで、800軒以上もあるとされるパブ。
彼らにとって、パブは単に酒を飲む場所ではなく、人々と近況を語り合い、議論し、時に民族の伝統的な歌や演奏、ダンスやゲームに興じる、交流と団結の場。まさにパブリック・スペースなのである。
その起源は定かではないが、ダブリンには12世紀創業のパブが現在も営業している。かつての交通の要術に建てられた宿屋兼酒屋、地元民ではなく通りすがりの客を相手にした店、地元民に食事やビールを出した店など、その成立過程はさまざま。現在は、主に伝統的なパブ、アイルランド民謡の生演奏が聞ける音楽パブ、流行を取り入れた現代的なパブの三つに分類されるが、夜11時30分に終業すること以外、厳格な規則はない。
アイリッシユ・パブで供されるギネス・ビールは、麦芽をカラメル色に焦がし、暗褐色にした黒ビール。1759年、当時34歳だったアーサー・ギネスが、誰も借り手のなかった醸造所を年間45ポンド、リース期間9000年という破格の条件で手に入れた。ギネスは研究を重ね、従来とは異なる新しい製法でビールを開発。庶民の飲料といえばウイスキーやジンという時代にビール市場を開拓した。以来、輸出品としても成功を収め、現在は、世界で年間2億リットル以上も生産される、アイルランド最大のブランド・ネームとなった。
出典;講談社週間世界遺産#70-020404
ウイスキーの誕生
ウイスキーというと、スコッチを生んだスコットランドが元祖だと思っている人が多い。が実はアイルランドこそが、その発祥の地なのである。
ウイスキーの語源はケルト語で″イシユケ・バーハ”(Ish'ke-Ba'ha)、意味は「生命の水」。およそ6世紀の頃、中東からモンクたちによって持ち込まれた謎の蒸留法は、なんと香水を作るためのものだった。それをすぐさまアイルランドの修道僧たちが見つけ、ウイスキーづくりを発明。やがてそれがスコットランドにも広まったといわれる。
アイリッシユ・ウイスキーの種類はジエイムソン(Jameson)、パデイ(Paddy)、タラモア・デユー(Tullamore Dew)などがあるが、一番目はジエイムソン社。同社を創立したジョン・ジエイムソンは、ダブリンがかつて大英帝国の第二の都市だった頃の1780年、口火を切って醸造所を作った。材料である大麦、そして岩や滝から流れる清流は、ともにアイルランドが天から受けた自然の恵み。ジエイムソンはそれに気がついた最初の人物だった。
世界最大の蒸留器
醸造工程はモルト(麦牙)作りに始まる。それから、糖化のための醸造。その糖液とイーストを混ぜた″ワート”を60時間かけて発酵。赤鋼の巨大なケトルでの蒸留。そしてオーク材の樽で平均5~8年寝かせる熟成を経てボトリングとなる。スコッチと比べてみると、蒸留の回数が1回多い3回で、モルト作りの時、キルンで焼く替わりに自然乾燥法をとっている。そのため、その味と芳香はマイルドである。英語辞書の編集で有名なジョンソン博士も、その定義として、「アイリッシユのそれは特に爽快でまろやか…」と述べている。
さらにアイルランドが″Whiskey"と絞るのに比して、スコットランドでは″Whisky。これに対しても、「おっちょこちょいなのか、なまりなのか、スコティッシュではWhiskyと書かれ」と続けている。
なお、より詳しいアイリッシユ・ウイスキーの歴史や世界最大の蒸留器を見たい方はジエイムソン・ヘリティジ・センター(Jameson Heritage Centre)へ。ここを訪ねる時間のない方はダブリンにあるアイリッシユ・デイステイラーズ(lrish Distillers Ltd)へ。ウイスキーの試飲もよし、ショップでお土産を見るのもよし。