プロブディフ Plovdiv


プロブディフフォト

概要

人口約38万人
ソフィアに次ぐブルガリア第2の都市で交通の要衝。
マリッツァ川が市内を流れる。
バルカン山脈とロドピ山脈の間にはさまれた肥沃な穀倉地帯であるトラキア平原地方にある。

歴史的に、7つの閃長岩の丘の上に築かれ、そこから発達してきた。7つある丘は大きいもので250mの高さがある。これらの丘にちなんで、プロヴディフは「7つの丘の街」と呼ばれる。ローマ劇場、円形競技場、地下遺跡エイレーネーをはじめとして、多くの古代遺跡が街中にみられる。

プロヴディフの名は、紀元前4世紀にマケドニアのアレクサンドロス大帝の父親フィリッポス2世に制服されフィリッポポリスとなったことに由来する。
そして500年後にローマ帝国の支配下になって、現在までローマ遺跡が残されている。
ローマ時代の名称はトリミンツィウムだった。
その後、スラブ人やブルガール人の侵入があって、9世紀からブルガリアの一部になった。
14世紀から19世紀まで約500年間ブルガリアは オスマン帝国に支配され、昔のスラブ名が訛ったプロブディフとなった。その時代からオスマン帝国の最古の時計塔が残っている。

こうして古代遺跡と民族復興期の古い街並みが融合した街並みは、中世期にはバルカン半島で最も美しい3都市のひとつとされた。
旧市街は、全体が博物館のような趣きをみせている。

プロヴディフは国際的な交通の拠点となる場所に位置しており、道路および鉄道交通のハブとなっている。
5月と9月に国際メッセが開催されている。
世界中のビジネスマンがプロブディフに集まる。それ以外の期間中も多くの展示会や見本市が開催される。

プロヴディフ市は日本の岡山市と姉妹都市になっている。岡山市から送られた桃太郎の像がプロヴディフの中央広場の西側の自由広場に置かれている。

アクセス

空港

プロヴディフ国際空港 Plovdiv Airport(空港コードIATA=PDV)
カキなど期間限定の季節運航便が運行されている。
市内から南東5kmにある.

鉄道

首都ソフィアから156km、2時間余りだが運行本数は少ない。
プロヴディフ中央駅の他に、トラキヤ駅、フィリポヴォ駅がある。

長距離バス

プロヴディフから周辺の町・村や国内の他の都市、そして国外の主要都市へと結ばれている。
3つのバスステーションがあり、それぞれ北、南、ロドピと呼ばれている。

市街地

旧市街には、有名な民族復興期のプロブディフ民家が集中していた。いずれも符号商人の邸宅で、そのの特徴的な様式がブルガリアバロックと呼ばれることもある。正面に美しいモチーフがあり、内部では壁画、家具、天井、階段手摺の木彫りを施していたりするのが特徴である。
ゲオルギアディーの家、ハジー・ドラガン・カロフェレツァの家、ルティン・ギディコフの家、ラマルティンの家(ゲオルギー・マブリディーの家)、ネドコヴィチの家、ステパン・ヒンドリヤンの家、バラバノフの家、クユムジエフの家などがある。

中央広場
旧市街の中心的広場で、中央郵便局の建物が建つ。
ここから北へメインストリートのアレクサンダル・バテンベルグ通りが伸びている。その終点がジュマヤ広場となる。この通りの東側が旧市街で、ローマ遺跡や東方正教会がある。

ジュマヤ広場 Dzhumaya
絵描きたちが露店を出す広場。
柱の上に高く掲げられているのは、アレキサンダー大王の父で紀元前4世紀にこの町を治めたマケドニアの王、フィリッポス2世の像である。
広場には高いミナレットが目を引く、14世紀のオスマントルコ時代に建造されたジュマヤモスクが建つ。
また、この広場の地下からはローマ時代の競技場跡の一部がみられる。
歩行者天国になっているショッピングストリート、アレクサンダル・バテンベルグ通りはここから始まる。

見どころ

東方正教の聖堂

プロヴディフには、19世紀に建てられた、数多くの正教会の聖堂が建っている。
聖コンスタンティン・聖エレナ聖堂、聖マリナ司教聖堂、聖ネデリャ聖堂、聖ペトカ聖堂、聖処女教会はいずれもこうした正教会の聖堂である。カトリック教会の聖堂である聖ルイ大聖堂もある。この他に、現代的なバプテスト教会、メソジスト教会、長老派教会やその他のプロテスタント諸派の教会堂や、古い様式のアルメニア教会の聖堂もある。オスマン帝国時代に建てられたモスクが2つ残されており、うちジュマヤ・モスクは、ムーア人の支配を受けたスペイン以外ではヨーロッパ最古のイスラム教のモスクである。ユダヤ教のシナゴーグもある。

ローマ円形劇場跡

ブルガリアで最も著名な古典古代の遺跡のひとつ
2世紀初頭に、皇帝トラヤヌスによって建造されたもの。
ジャンバス・テペとタクシム・テペの2つの丘の間に挟まれた鞍部に築かれている。
客席は14列あり、直交する階段によって区切られている。この劇場の収容能力は7000人である。南側には3階建ての舞台があり、フリーズ、コーニス、像によって装飾が施されている。現在では、ジュゼッペ・ヴェルディ・フェスティバルや国際民俗フェスティバルをはじめ多くのイベントが開かれる。
もうひとつのローマ劇場(オデオン)は2004年に修復が終わった。これは、2世紀から5世紀ごろに建てられたもので、350席を有する小さな劇場である。これは、はじめは市議会の建物として建造され、後に劇場として改修されたものである。

円形競技場 Roman Stadium

ローマ劇場と並ぶプロヴディフのローマ時代の重要な遺跡である。
円形競技場は、サハト・テペとトリフルミエ地区のあいだに位置している。
競技場は2世紀に建造されたもので、デルポイの競技場に倣ったものである。
競技場の一部分、13列の客席が今日もみられるが、その他の大部分はプロヴディフのメインストリートや周囲の建物の地下に眠っている。

エイレーネー古代遺跡群 Eirene Archaeological complex

トリフルミエ地区の南側から、現在のアルヘオロギチェスキ地下道のある古代の街路跡の北にかけての一帯を占める古代遺跡群である。
ここには、3世紀から4世紀の富裕層が所有した建造物跡が残されている。

ネベト・テペ遺跡

トリフルミエ(3つの丘)地区で最古の人の居住地である、紀元前12世紀のトラキア人の都市・エウモルピアスが残されている。これはバルカン半島全土でも極めて古い人の居住跡の一つである。神殿の周囲を取り囲む巨大な壁と、宮殿が発掘されている。この要塞で最も古い部分は大きな閃長岩のブロックで建造されており、「キュクロープスの建築」と呼ばれている。

ブルガリア民族復興博物館(ゲオルギアディ・ハウス)

Bulgarian National Revival Museum
1848年に建てられた豪商の家を利用した博物館。
博物館を手がけた大工ゲオルギの名を取り「ゲオルギアディハウス」とも呼ばれている。
バルコニー付きホールなど、木の美しさを生かした建物で、現在はプロヴディフの民族復興期の独立運動の歴史を展示する博物館になっている。

ラマルティンの館 Lamartine House

1833年、フランスの作家ラマルティーヌが住んだ家。
展示内容は、彼が書いた原稿や旅先の町の資料などとなっている。

民俗博物館 Regional Ethnographic Museum

1847年に建てられたトルコ人豪商の家を改装した博物館。
現在はロドピ地方の民族衣装や農具やワイン造りの道具など、ブルガリアの伝統的な生活用具が展示されている。波打つような曲線的な屋根に特徴がある。月曜休館。

郊 外

バチコヴォ修道院 Bachikovski Monastery

バチコボ僧院フォト

プロヴディフ市内から南に30km離れた山中アセニッツァ川のほとりにある僧院。
1083年の創建で、14世紀にブルガリア王国のイヴァン・アレクサンドル皇帝時代に拡張された。
規模、建築の美しさ、壁画の芸術性などからリラの僧院に次いで優れた僧院とされている。
僧院にまつわる伝説が描かれたフレスコ画を見ることができる。
世界遺産に登録されている。















Conpyright © sera9.com