国の概要
国 名
アルバニア共和国 Republic of Albania
アルバニア語でRepublika e Shqiperise
漢字では阿爾巴尼亜を当てている
国コード
ISO3166-1=AL/ALB/008,
NET=.al,
IOC=ALB
プロフィル
古代アーリア人の末裔といわれるアルバニア人。
彼らは国家を持たなかったため、さまざまな勢力の支配を受けてきた。中でも、オスマン朝による支配は約400年と長く続き、多くのイスラム教徒を生むきっかけとなり、ヨーロッパでは珍しく国民の7割がイスラム教徒を占める国である。
第二次世界大戦後は共産主義国となり、鎖国政策をとり、その状態は90年代初めまで続いた。
経済は低迷が続き、長年欧州最貧国の扱いを受けていた。国民はみな貧しく、日々の暮らしに困窮していた。
1990年には、時代の流れの中で資本主義経済を導入の方向に向かった。しかし、急激な変化に国民は戸惑い、投資会社を名乗る無限連鎖講、いわゆる「ねずみ講」にひっかかり、月に10~35%という投資利回りといううたい文句に引き寄せられた人々の3分の1が財産を失い経済が破綻、国中が大混乱に陥った。
隣国で勃発したコソボ紛争により、1999年には48万ものコソボのアルバニア系の難民が流入し、国家の負担となっていった。
こういう混乱期に、アドリア海を小舟にたくさんの人が乗り込んで対岸のイタリアへ難民が流入してきた。この時期、イタリアのアドリア海沿岸の都市バーリ Bariなどは非常に治安状態が悪くなり、旅行者が行ける状態ではなかった。
その後、徐々に経済は順調に回復をしており、治安も安定してきて、ヨーロッパからの旅行者も増えてきた。
だが、インフラはぜい弱で、とりわけ電力が安定せず、時折停電も起きる。山がちな地形で水力発電が98%も占めているものの施設や送電設備の老朽化により、不安定になっている。外資の誘致活動に力を入れている。
現在でも経済は、主にギリシャやイタリアなどの外国で働く出稼ぎ労働者からの送金により支えられている。
南北に広がる国土は一方ではアドリア海の地中海的な風景、他方では険しい山々と変化に富んだ美しい自然がある。
古代ローマ時代の遺跡や中世の建造物や要塞、教会など歴史的遺産が多く残されている。
長く続いた鎖国の影響で独特の雰囲気や文化・伝統、他諸国では薄れてしまった人々の生活習慣が残る国でもある。
国のシンボル
国 旗
赤地の中央に黒い双頭の鷲が描かれている。
「スカンデルベクの鷲」と呼ばれている。
スカンデルベグはオスマン帝国へのアルバニア蜂起を指揮し、1443年から1468年の間、オスマン帝国から一時独立を果たしました人物。
国 歌
国旗への賛歌
国 土
バルカン半島の西側に位置する。
北西にモンテネグロ、北にコソヴォ、北東にマケドニア、南東にギリシアと国境を、西にはアドリア海とイオニア海と接し、海岸線の長さは476kmある。
また、オトラント海峡を挟んで、イタリアからの距離は72kmしかない。
海岸近くの平地以外は起伏があって山がちな地形で、大半が平均標高 1000mほどの山岳地である。
モンテネグロ・セルビア・マケドニア共和国との国境地帯にはディナラ・アルプス山系の2000m級の山々が連なり、一番高い山はマケドニアとの国境のディバル地区にあるコラブ山で、標高は2,753mある。
面 積
2万8748km2(四国の約1.5倍)
政治形態
政 体共和制
独立年月日1912年11月28日、オスマントルコより独立
国連加盟 1955年12月14日
元 首
ブヤール・ニシャニ大統領 Bujar Nishani (2012年7月就任、任期5年)
首 都
ティラナTirana(約42万人)
地方自治
12の州 、36の県に分けられている。
国 民
人 口
約300万人
民 族
アルバニア人95%,ギリシャ人3%
言 語
アルバニア語(公用語)
宗 教
イスラム教70%,アルバニア正教20%,カトリック10%
共産主義時代に宗教活動が禁止されていたため、現在も特定の宗教をもたない人も多い。