カルタゴ Carthage

概要

チュニスの北東10km余りのところにある町。

現在はチュニス郊外の住宅地となっているが、かつては地中海を駆け巡ったフェニキア人の拠点として名を馳せていた。

紀元前814年、地中海に面したこの地にフェニキア人が入植したのが町の起源とされる。彼らはここを拠点として地中海沿岸の各地へ渡り、交易を行なった。しかし、ポエニ戦争で紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて3度に渡りローマと交戦し、カルタゴは陥落。町は徹底的に破壊されて廃虚と化した。
紀元前1世紀にローマによって再建されると、アフリカで1、2を争う巨大都市に生まれ変わった。5世紀にヴァンダル人によって占領されたが、6世紀にビザンティン帝国が奪回、総督府を置かれて重要拠点となった。
しかし、7世紀にイスラムの勢力が及び、789年にウマイヤ朝に征服された。それ以降、町は荒廃していった。

現在残る遺跡のほとんどはローマ時代の建造物である。住宅地の合い間に遺跡が点在する。

フェニキア人時代の中心地だったビュルサの丘には出土品を展示する博物館と19世紀建造のサン・ルイ教会が立っている。

海辺にはアントニヌス・ピウス帝が建設した大規模な共同浴場の跡がある。
高さ15mの円柱がスケールの大きさを物語っている。
野外劇場は復元が進み、現在もイベントで使用されている。

古代遺跡が残る市街は1979年に世界遺産に登録されている。kj

見どころ

(古代ローマ遺跡)

ビュルサの丘、カルタゴ博物館

ポエニ人の墓地トフェ

古代カルタゴの港

アントニウス共同浴場

バルドー博物館

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