歴史
チュニジアの歴史
BC1100年頃 | 地中海交易で活躍していたフェニキア人が交易拠点としてこの地に移住しユティカの町を建設する |
BC880年頃 | フェニキア文字をギリシャに伝達し、アルファベットの起源となる |
BC814年 | フェニキアの女王エリッサによってカルタゴの町が建設され、地中海貿易で繁栄する。 |
BC6世紀から | シチリア島を巡ってギリシャ人と対立し、たびたびシチリア戦争が繰り広げられた。 |
BC264年 |
第一次ポエニ戦争始まる。 地中海域の覇権争いイタリア半島で勢力を伸ばしたローマ共和国とポエニ戦争を繰り広げた。 カルタゴ、敗戦によってコルシカとサルデーニャを失った。 |
BC263年 |
ローマはシラクサと同盟 カルタゴ軍シチリアに上陸 |
BC241年 |
第一次ポエニ戦争終結 ローマはシチリアを属州にする |
BC216年 |
第二次ポエニ戦争始まる。~前201 ハンニバルがイタリアに侵攻,ローマ帝国軍に壊滅的な打撃を与える。 |
BC202年 | ローマが態勢を立て直すとスキピオ・アフリカヌスの率いるローマ軍がアフリカに上陸し、ザマの戦いで大スキピオ軍がハンニバルを破ってカルタゴは敗北した。 |
BC201年 |
第二次ポエニ戦争終結 ローマは西地中海の覇権を掌握 |
BC149年 |
カルタゴは驚異的な速度で復興し、賠償金を完済した。 カルタゴの復活を恐れたローマ・小スキピオ軍が第三次ポエニ戦争でカルタゴを攻囲する |
BC146年 |
第三次ポエニ戦争終結 カルタゴは滅亡。 ローマの属州となり属州アフリカと呼ばれる |
395年 | ローマ帝国が東西に分裂以後は、西ローマ帝国の管区になる。 |
439年 | ゲルマン系ヴァンダル人がに侵入。カルタゴにヴァンダル王国が建国された。 ヴァンダル王国は海運で繁栄する。 |
533年 | ヴァンダル帝国、東ローマ帝国に滅ぼされ、東ローマ帝国に組み入れられる。 |
476年 | 西ローマ帝国滅亡 |
610年頃 | アラブの侵略をうけ、征服されイスラム化が始まる。 |
630年 | ムハンマドがメッカを占領し全アラビアを統一する |
632年 | ムハンマド死亡 |
698年 | カルタゴがアラブに掌握される。 |
1453年 | 東ローマ帝国滅亡 |
1574年 |
オスマン帝国に取り込まれ、属州となる。 オスマン帝国は、ハフス朝の終わりにスペインに奪われた島々を取り返し、国を再建。 その後、フランスが侵略し、75年間支配され続ける。 |
1881年5 | チュニジアはフランス保護領となる |
1956年 |
フランスの植民地から独立 1956年6月26日日本と国交樹立 独立宣言後、完全に独立するまでの道のりは続く。 |
1957年 |
君主制を廃止し、共和制を宣言。 ハビブ・ブルギバ氏が初代大統領に就任~1987 |
1959年 | ブルギーバは憲法を制定し、社会主義政策を採る |
1970年代 |
社会主義から自由主義に路線を変更。 しかし長期政権の中、ゼネストと食糧危機など社会不安が高まる。 |
1987年 | 無血クーデターが起こり、ズイン・エル・アビディン・ベン・アリ首相が大統領に就任し、ブルギーバ政権は終焉した。 |
2011年1月 |
失業していた若者の抗議の焼身自殺をきっかけに「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が起き、23年続いた独裁政権への抗議運動が拡大し政権が崩壊した。 これを「ジャスミン革命」と呼ばれるようになった. ベン・アリ大統領が国外逃亡、ムバッザァ暫定大統領就任 |
2011年10 | 制憲国民議会選挙の実施 |
2011年2月 | モンセフ・マルズーキ大統領が就任、ハマディ・ジェバリ首相内閣の発足 |
2014年12 | ベジ・カイドセブシが大統領就任、首相にハビブ・シドが任命される。 |