ルーマニア

歴史;

ギリシア人の交易地点として栄えた。
ルーマニア人の起源はダキア人またはトラキア人と言われている。
紀元1世紀にダキア人の王が現在のルーマニア領を支配したものの、古代ローマのトラヤヌス帝によって征服されたことによりダキア人とローマ人の混血が進み、ローマの公用語であったラテン語を用いるルーマニア民族が形成されていった。
13世紀末から14世紀にかけて、ルーマニアに初めて2つの独立国家が誕生する。ハンガリーを宗主国とするワラキア公国、反ハンガリー派のモルダヴィア公国である。
15世紀頃バルカン半島をほぼ全域にわたって支配下においていたオスマン・トルコが勢力を伸ばし、結局2つの公国も支配下になってしまう。
1853年、クリミア戦争でトルコがロシアに敗北すると、ルーマニアは独立し、統一国家が誕生し、1877年にはトルコから独立する。
第二次世界大戦ではドイツ側について戦って敗北。ソ連の統治下の組み込まれ、王制から社会主義国家となる。
1965年、それまで党首だったデジの死去に伴い、チャウシェスクが党首になり、徐々に独裁色を強めていった。
ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権の元、次第にソ連とは一線を画す一国共産主義を唱え始め西側との結びつきも強めた。
1974年のオイルショックでの対外債務を強引な輸出経済で乗り切ろうとして物不足を生じ、国民の不満が爆発.
1989年末、チャウシェスクの処刑という劇的な幕切れで80年代から続いた秘密警察管理下の恐怖政治が終結した。長い独裁政治の影響で、市場経済への移行は遅れている。
2007年1月1日に欧州連合(EU)に加盟した。加盟に際しては、改革が不十分であるとして、欧州理事会によって再審査されたが、加盟後も改革を続行するとして承認された。
(TA)

世界遺産

国立公園・自然保護区など;