ポルトガル
シントラ Sintra †
- リスボンの北28km
- 人口約2万人
- 緑深い樹木におおわれた山々の気候は、まるでどこかハイキングのベース地にでも来たような気持ちになる。しかし、ここでの見どころは歩いて回るにはかなり健脚でもきつい。
- 見どころは、鬱蒼と茂る山を挟んで向こう側にあったり、しかも上り坂となっている。
- ムーアの城跡などは山の中でバンか地元の循環バスを利用しないと入れない。大型バスでは無理だ。
- リスボンから1日ではとても回りきれない。通常はシントラ市内にある王宮だけで終わってしまっている。TA
アクセス †
リスボン・ロシオ駅からシントラ行き45分、15分ごとに運行
循環バス:駅前→旧市街→王宮前→ムーアの城跡→ペーナ宮→旧市街→駅前。
見どころ †
- 王宮 Palacio Real
2本の大きな円錐形の煙突が目印。夏の王家の離宮。
14世紀にエンリケ航海王子の父、ジョアン1世によって造られ、その後何度も増改築が繰り返された。内部は古いアラブ風の幾何学模様の美しいタイルで化粧され、部屋ごとに歴代の王家のエピソードが伝えられている。
(王宮内部)
- 白鳥の間Sala dos Cisnes
天井板に27羽の白鳥が描かれている。王宮内でいちばん広い部屋。宮廷のレセプションに使われていた。天正遣欧少年使節団ももてなしを受けたという。
- 紋章の間Sala dos Brasoes
王家の会議室だった。狩猟の光景を描いたアズレージョの壁で囲まれている。天井板は36個の八角形に仕切られた王家の代々の紋章が鹿の頭と一緒に描かれている。
- カササギの間Sala dos Pegas
天井一面に口に赤いバラを加えて今にも飛び出しそうなカササギが描かれている。ジョアン1世はこの部屋である女官とキスをしているところを王妃に見つかってしまった。「善意」でやったことだと弁解したが、このことが宮廷の女官たちに広がってしまい、閉口した王は女官の数だけカササギを描き、特定の女官を寵愛したのではないと、その噂に終止符を打たせようとしたのだという。王妃はジョアン2世やエンリケ航海王子の母で、英国ランカスター家の出身。赤いバラは同家の紋章。カササギは英語でもポルトガル語でも「おしゃべり」の意味がある。~
- アラブの間Sala dos Arabes
食堂。緑・青・白のアズレージョでおおわれている。
- 人魚の間Sala das Sereias
ムデハル風の16世紀のアズレージョと船を描いた天井が見どころ。
- アフォンソ6世の間Sala d'Afonso VI
アフォンソ6世が幽閉され、死ぬまでの9年間を歩き回っていた床が磨り減っている。
- 中国の間Sala Chines
中国から送られた大きな中国風の象牙の塔の模型が置いてある。
- ペーナ城 Palacio da Pena
標高529mのシントラ山系の一つの山頂に建てられた城。1839年にフェルナンド2世が廃墟になったジェロニモ派の修道院を改築したもの。
- ムーア人の城跡 Castelo dos Mouros
標高450mの山の上の城壁。7〜8世紀にイスラム教徒によって築かれたもので、1147年アフォンソ・エンリケスによって攻略され落ちてしまい、今は城跡だけが残されている。ここから下界の王宮が真下に見える。TA