スロベニア

歴史・世界遺産 

歴史

6世紀頃、現在のスロベニアに移動してきた南スラブ系民族は、620年頃にカランタニア公国を建てる。その後アヴァール人の侵略に悩まされるが、バイエルン公国に援助を受ける。これをきっかけとして、以来長い間ドイツの影響下におかれる。国土の大部分はドイツ諸侯により所有され、キリスト教文化が浸透、現在のスロベニア文化の基礎が築かれた。

スロベニアとクロアチアは14世紀以来オーストリア・ハプスブルグ家の支配下にあった。ボスニアに居住していたセルビア人、クロアチア人はオスマン・トルコの支配下で、イスラム教に改宗させられていた。セルビア、モンテネグロもオスマン・トルコ支配下にあったが、1878年のベルリン条約で王国としてそれぞれ独立し、行政権がオスマン・トルコからオーストリア・ハンガリー帝国に移行。1908年にオーストリア・ハンガリー帝国に併合される。
第一次世界大戦では、オーストリア=ハンガリー帝国支配下のスロベニア・クロアチア人と連合国側についたセルビア・モンテネグロ人が戦闘を交えた。オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊により、1918年セルビア=クロアチア=スロベニア王国が成立。1929年ユーゴスラビア王国と改称した。

1941年ドイツ軍が侵入占領、共産党がパルチザン闘争を展開した。1945年にはユーゴスラビア連邦人民共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国で構成)が成立。チトーが大統領となり、ソ連圏から離反することとなった。1963年国名をユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称した。

1980年大統領チトーが死去、1990年にセルビア民族主義のミロシェビッチがセルビア共和国大統領に当選すると徐々に民族間の紛争が表面化しはじめた。各国が独立の機運を強めるようになっていく。
1991年6月スロベニア、クロアチア両共和国が独立宣言。続いて9月にはマケドニアが国民投票で独立を宣言。(TA)

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