フランス/ノルマンディー Normandie
ファレーズ Falaise †
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- カーンから南へ約40km。
- 1027年、ノルマン公ロベール1世の子ギョームがここで生まれた。
8歳で公位を継いだ彼は後にイングランドを征服し、イングランド王ウィリアム1世となった。
- 街にはアングロ・ノルマン様式の城が建っている。
- 第二次世界大戦おいては、1944年6月6日の連合国軍によるノルマンディー上陸で撤退を余儀なくされたドイツ軍がこの町の周辺でで包囲され、8月10日から19日にかけて激戦となった。
- 10万人の兵士が脱出したが、15万人が捕虜となり、連合軍の優位が決定づけられた。kbt
近郊 †
- サン・マルタン・ド・ミュー礼拝堂
(サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂 Chapelle de St-Vigor-de-Mieux)
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ファレーズからより3kmの小さな村のはずれにある、
ノルマンディの農村の風景の中に溶け込んでいる可愛らしい小さな礼拝堂.
一歩中に入ると、四季折々のリンゴの木が描かれていて、リンゴの礼拝堂(サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂)と呼ばれている。
屋根からはノルマンディの柔らかな光がたっぷり差し込んできている。
屋根にはガラス製の瓦が使われている。
ここは、100年以上、廃墟と化していた。それを美しく修復したのは日本人で現代美術化田窪恭治氏である。
もともと15世紀の中にギヨーム・ド・ヴァノンブラによって建てられたものだが、時の流れと共に変わって行った。
今でも幾つかの墓石が残っているが1737年までヴァノンブラ家の人々はその身廊の床に埋葬されていた。
また礼拝堂の周囲には古い小さなお墓がたくさん残っている。
この崩れかけて廃墟になっていて小さな礼拝堂は1983年まで閉鎖されていた。
その当時礼拝堂はすでにぼろぼろで鐘も今にも落ちそうだった。
危ないから立ち入り禁止にするか、壊してしまうかの選択をしなければならなかった時だった。
1987年、田窪恭治氏がこの地を初めて訪れた時強く心引かれ、礼拝堂廃墟になったこの礼拝堂の修復し美術作品として再生させたいと、村人に再建を自分にまかせてもらえるように頼み込んだ。
こうして1992年から工事はスタートしました。
修復するのに、報酬なんかいらないなんて何か企てているんじゃないかと思って、村人は最初はだれも彼の言うことを信じていなかった。
1年後、田窪氏は妻と3人の子供ともども移住し、何とか塗ら人に了解を得て修復に取りかかった。
こうして1992年から工事はスタートしました。
そして、田窪氏が頼み込んでから10年後の1999年リンゴの礼拝堂は完成した。
司祭がいないため、礼拝堂としては使われていないが、村人たちは愛着を込めて、「リンゴの礼拝堂」と呼んでいる。
こうして田窪氏の新しい表現はフランスと日本の協力により実現し、今では日仏文化交流の場となっている。
サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂は、7月、8月の2か月間だけ、毎週土曜日午後3時より見学出来る。
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