チェコ

チェコの歴史

チェコは9〜10世紀からプシェミシュル家が国家を建設し、後には神聖ローマ帝国内にありながら特許状を得て王国となった。14世紀初めにプシェミシュル家の男子の後継者が途絶えると、ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の息子ヨハンを招くこととなった。そして、ヨハンの息子がボヘミア王カレル1世となり、神聖ローマ皇帝ともなった(カール4世)。彼はチェコの王冠を作り直し、その王冠の下にモラビアやシレジアなど5領邦を結合した。この時代にプラハは繁栄し、プラハ司教座教会は大司教座に格上げ、プラハ大学も創設された。また、カレル橋など多くの建築物が施工されている。その後、ルクセンブルク家が断絶すると、その遺産はハプスブルク家が引き継ぐこととなった。

1415年に下層僧侶や貧民の支持を集めた神学者フスが処刑された後、フス派の人民軍は5度に渡りローマ法王の十字軍を粉砕する。以降、ハプスブルク家を王として迎えた後もフス派はカトリック化に抵抗を続ける。1618年にはカトリック対プロテスタントの宗教戦争(30年戦争)が起こり、この間にチェコは何度も戦場となり国土は荒廃した。18世紀後半からは近代化の波に洗われ経済復興の兆しが見えるとともに民族運動も活発化する。

第一次世界大戦後(1918年)、チェコは隣国スロバキアと連邦を組んでチェコ・スロバキア共和国として独立。しかし、チェコ中心主義に不満を持ったスロバキアは1939年独立を宣言しドイツと保護条約を結び、チェコはボヘミア・モラビア保護領としてドイツの支配下に入る。第二次世界大戦後、再びチェコ・スロバキア共和国として独立。共産党による社会主義政策が進められる。1989年、民主化を求める反政府デモにより共産党政権が倒れ、新体制となった。しかし、その後の政策をめぐりチェコとスロバキアに亀裂が生じた。 1993年、連邦制を解消し、スロバキアがチェコから分離独立。それぞれが別々の共和国となった。