エストニア
歴史・世界遺産・国立公園 †
歴史; †
(バルト3国の歴史)
- バルト3国が最初に国家として存在したのは、第一次大戦と第二次大戦の間の約20年間。1918年に初めてそれぞれの国が独立宣言を行なうまでは正式な独立国家となっていなかった。それまでは下記の様に常に周辺諸国の支配下に置かれる歴史を持っている。
- エストニア地域は、1219年デンマーク王によって占領される。1285年にタリンがハンザ同盟都市となり、中継貿易で栄える。16世紀のリヴォニア戦争降、スウェーデンとポーランド・リトアニア連合国〜ロシア〜再びスウェーデンの支配下に。そして1710年から再びロシアの支配下に置かれた。
- ラトビア地域は、13世紀にはリヴォニア騎士団による支配を受ける。1282年、リガがハンザ同盟都市に。16世紀のリヴォニア戦争降、ポーランド・リトアニア連合国の保護下にクールランド公国を設立する。17世紀にスウェーデンの支配、18世紀からロシア領になる。
- リトアニア地域は、1569年リトアニアとポーランドは連合国家となるが事実上ポーランドに吸収される。1795年、ロシア領となり共同国家は消滅。
バルト3国は1918年の最初の独立宣言の後、第二次大戦でナチスドイツ軍の侵攻を受け、1940年には3国ともソビエト連邦に併合される。1991年、バルト3国はそれぞれが独立を回復した。
各国とも独立直後は経済的に相当な苦難を受けていたが、西側の資本を積極的に受け入れ、中欧諸国に負けず劣らず近代化が急速に進んだ。エストニアのインターネット普及率は40%を超え、世界有数のレベルとなっている。
2004年5月1日、3国ともにEUに加盟している。(TA)
- 略年表
1219年:デンマーク人が進出しタリン市を築く。
1346年:ドイツ騎士団が進出し領有。
1629年:スウェーデン領となる。
1721年:北方戦争の結果ロシア領となる。
1918年:独立を宣言。
1920年:ソ連と平和条約を締結。
1940年:ソ連に編入。
1990年5月:独立回復宣言。
1991年9月6日:ソ連国家評議会がバルト三共和国の国家独立に関する決定を採択。
2004年3月:NATO加盟
2004年5月:EU加盟
世界遺産: †
- タリン歴史地区(旧市街)Historic Center of Tallinn(文化遺産 1997年)
エストニア共和国の首都。
中世の美しい町並みが残る町全体が「生きた博物館」と呼ばれる。
1219年デンマーク王により征服され、トームペア城が建てられた。
1285年ハンザ同盟に加盟してからロシアとの貿易中継地や商工業の拠点として繁栄。
14世紀にはバルト海沿岸で最大級の都市となった。
- シュトルーヴェの測地弧 Struve Geodetic Arc(文化遺産2005年)
- 無形遺産
第2回(2003年)の「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」による。
- キーヌ島の文化的空間
- バルト地方(エストニア、ラトビア、リトアニア)の歌謡・舞踊フェスティバル
国立公園・自然保護区など;TA †