タンド Tende

Alpes-Maritimes県: 人口:約2000人

タンドフォト

概要

1ニースより北に位置するイタリアとの国境に近い山間の村、
ニースを流れるパイヨン河の沿線にあたる。
タンドの街は、山肌にへばりつくようにして階段状になっている。その街を実際に歩いて巡れるのが特徴だ。
また街の全景を見るには、川を挟んだ対岸から街を見るといい。

ニースから北の方へ延びるフランス国鉄ニース~クネオ線と呼ばれたり、ニース~タンド線と呼ばれており、海岸ではなく、ニースから山間部を縫って、イタリアのクネオへ進む沿線内でフランスの端にあたる村で、ここより先はイタリアになる。
ドラップ、エスカレーヌ、ペイヨン、ペイユというニース後背地の美しい村々を抜けていく。

タンドに限らず、この線路沿いにある町は当時、塩街道と呼ばれたルートにある休憩地点だった。
ニースから当時ニースの宗主国であったサヴォワ公国の首都トリノへ塩を運ぶ道だった。今なおその頃の面影を残している町である。
タンドは、この塩運搬におけるギルド(同業組合)の本拠地となっていた。
塩街道の村々にバロック様式の建物が点在していることから、このルートをバロック街道と呼ぶこともあるが、イタリアや北方のバロック建築を想像すると印象を異にする。

現在のように鉄道が通って、道路も整備されているわけでもなく、ニースからトリノへと向かうとなると、アルプスの西端にあたる山岳地帯をいくつもの峠を越えていく必要があった。
そのため、途中で宿を取る必要があり、宿場町としていくつもの村が栄えたのだった。今は昔の町並みにその名残を感じられるくらいだが、タンドに残るこのロバ用の道もその一つと言える。

ニースがフランスになったのが1860年で、それでもたかだか150年前だが、タンドがフランスになったのは1947年。今も生きている人たちは、タンドのフランス人であり、そして元イタリア人でもある。


アクセス

鉄道

国鉄 SNCF
ニースヴィル駅からのルートは2つある。
(1)ニースから海岸線をイタリアのヴァンティミリアVentimigliaまで行き、クネオ行きに乗り換えるルート。 このルートではヴァンティミリアからの列車がフランス国鉄線SNCFではないので、フランスのパスは通用しない。
(2)ニース~クネオ線、ニースからブレイユ・シュール・ロワイヤを経由する直通ルート。直通は少なく、直通運転がない場合には、ブレイユ・シュール・ロワイヤで乗り換える必要がある。
所要時間はブレイユ・シュール・ロワイヤでの乗継時間を入れないで、約1時間40分ほど。

ニースからイタリア方面の高速道路でマントンで降りて、マントンとは反対側の北行きをとる。
日帰りする場合には、ソスペルSospel、サオルジュSaorgeにも立ち寄るといい。
ソスペルは平たんな街で歩きやすい。サオルジュはきつい坂道を上って行くので、タンドの後にした方がいい。

町の様子

タンドの駅をでて、左手前方に進んでいくと、すぐ左手に市役所の建物があり、その中に観光局 office de tourismeが入っている。観光局の建物の前の広場では午前中朝市が開かれる。
この通りがメインストリート1947年9月16日通りAvenue du 16 Septembre 1947(タンド、ラブリーグがフランスに組み入れられた日)になり、少し坂道を下っていくと、こじんまりした商店やレストラン、カフェなどが並んでいる。
右手にはこの地方で作られているチーズの専門店もあり、味わってみるといい。
また、この通り沿いには、メルヴェイユ博物館もある。先史時代の人々の様子、武器、生活様式、石や岩に刻みこまれたメルヴェイユ渓谷の紋様のたくさんの壁画などをみることができる。

この1947年9月16日通りから小川の架かる橋の手前のレピュブリック広場に出るが、その左手が旧市街地となる。山に張り付くように建つ家並みには中世の雰囲気がたっぷり残っており、古い町並みが続いている。
15世紀~16世紀にロバが荷車の引っ張って町を歩いた轍が残っている。
この旧市街をゆっくり1-2時間かけて歩いてみるといい。

リンク
タンド観光案内所
http://www.tendemerveilles.com



タンド地図