ハープサル Haapsalu
人口約12,000人
概要
エストニア北西の海辺の保養地。帝政ロシア時代から貴族や詩人・音楽家が多く訪れた町。波の静かな内海。
新鮮な空気や水、そして薬効成分を含む天然泥で人気の保養地となっている。
13世紀、ドイツの司教領の中心地となり、ドイツ人、スウエーデン人が移住したことから発展した町。
市内にはハープサル城が建つ。ドイツ司教が築いたもので、町の起源となった。
ロシアの作曲家チャイコフスキーは1867年夏をこの町で過ごし、「ハープサルの思い出(3つの小品)」というピアノ曲を作曲している。ハープサルにはそのことを記念した「チャイコフスキーのベンチ」がある。
アクセス
バス
タリンから1時間に1本~3本運行されている。所要時間約2時間。
見どころ
ハープサル城 Haapsalu Piiskopilinnus
13世紀にサーレマーネ司教区の中心地として建造された太い円筒形の建物。城壁の長さは803mに及ぶ。
エストニアで最も保存状態のよい城の一つとされる。
毎年8月の満月の夜に、大聖堂の礼拝堂の円形窓に女性の姿が浮かび上がるという「ホワイトレディ」伝説がある。ホワイトレディは司教と恋に落ち女人禁制だった城に聖歌隊員として変装して司教に会いに行ったが見つかってしまい、建設中の城の壁に生きたまま閉じ込められた女性だという。その女性の魂がさまよい、年に一度、8月の満月の夜に白衣の乙女が現れ、窓に浮かび上がるのだと言われている。この伝説にちなみ、毎年8月の満月の頃に音楽祭が開催されている。
チャイコフスキーのベンチ
チャイコも保養地に足しげく訪れていた。
ハープサルの海を眺めるように作られらコンクリート製のベンチ。ベンチには交響曲第4番の楽譜が刻んである。そばには肖像もある。
エストニア国立鉄道博物館
かって使われていた駅舎を改築して作られたもの。帝政ロシア時代、1917年革命前まで、サンクトペテルブルグからハープサルまで鉄道を開通させていた。以降、1987年までタリン近郊鉄道がタリン~ハープサル間を運行していたが、現在は廃線となっている。当時の社会主義時代の制服なども展示されている。大型のSLも野外展示されている。。