リトアニア

カウナス Kaunas

杉原千畝

(すぎはら ちうね 1900?1986)
第二次大戦初期、リトアニアの首都がカウナスだった当時、ここに置かれていた日本総領事館の領事代理を務めていた。
1940年、ナチス・ドイツに追われポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人たちは、シベリア経由で米大陸に逃れようとして日本の通過ビザを求めた。
杉原千畝氏はビザ発給許可を本国日本に繰り返し打診したが、当時日本はドイツと同盟を結んでいた事情もあってその許可は下りなかった。しかし、領事館前に集まり救いを求めるユダヤ人たちをどうしても放っておくことはできず、ついに本国の許可がないまま独断でビザ発行を決意したという。自らの退去する期日が迫る状況の中でも、彼は毎日朝から晩まで休まずにビザを書き続け、それはリトアニアを脱出する列車内まで続いた。この時に発行されたビザの数は3000におよび、ビザによって日本経由で他国へ移動できたユダヤ人は6000人以上とされる。
杉原氏の功績はリトアニアでも評価され、旧日本総領事館は杉原記念館として保存されている。現在でも彼の功績が両国を結んでいる。TA

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