[[ドイツ/ベルリン・ゲーテ街道・ドイツ東部]] ワイマール ~ *ワイマール Weimar [#g88b1d36] (チューリンゲン州)~ 人口:約62000人~ ドイツ語の発音ではヴァイマール~ -ゲーテ街道の旅における重要都市ワイマールは、1775年カール・アウグスト公に宰相として招聘されたゲーテの活躍の場で、26才から83才で没するまでゲーテ半生の活躍の拠点となった。~ -ドイツの偉人シラー、ヘルダー、ハイネ、ニーチェ、トーマス・マン、リストなど多くの著名人の足跡が市内のいたるところに残る。音楽、芸術だけでなく、1919年のワイマール憲法採択の地でもある。~ -1999年はゲーテ生誕250周年にあたり、さらには欧州文化首都にも選ばれ、この時にはワイマールの街中で記念行事が盛大に行われた。~ ***アクセス [#b49d41ff] -鉄道~ フランクフルト中央駅Frankhurt a/M Hbf.からドレスデンDresden Hbf.行き特急ICEで2時間30分。ほぼ1時間間隔。~ ベルリン中央駅Berlin Hbf.からの直通列車は特急ICで2時間20分、ほぼ2時間間隔。~ ***見どころ [#y1f6d644] -劇場広場 Theaterplatz~ ゲーテ「ファウスト」、シラー「ウィリアム・テル」が初公演された国民劇場は、1919年ワイマール憲法が採択された場所。~ 1850年にはヴァーグナーの「ローエングリン」の初演が行われている。現在のドイツ国立劇場(Deutsches Nationaltheaterの建物は、その跡地に1907年に建造されたもの。~ この劇場前には、1857年に建立されたエルンスト・リーチェルErnst Rietsche制作のゲーテとシラーの彫像 Goethe-Schiller Denkmal が手を取り合って立っている。~ -ゲーテの家 Goethes Wohnhaus~ ゲーテが1782年より1832年に没するまで住んでいたバロック様式の家。~ ゲーテはこの家で研究・調査をしたり、「ファウストFaust」のような不朽の名作を執筆したりした。~ 最後に残した、「もっと光を」という言葉は有名。~ 最期を迎えた寝室や、名作が書かれた書斎などが興味深い。~ 館内の混雑緩和のため、入場時間が指定される。~ Frauenplan~ 月曜休館~ -シラーの家 Schillers Wohnhaus~ ゲーテの招きでシラーはワイマールに移り、1802年4月から1805年に亡くなるまでの3年間、この家に住んでいた。~ 「ウィリアム・テル」「メッシーナの許嫁」はここで書かれた。~ 建物の一部が博物館としてシラーについての資料が展示してある。~ Schillerstrasse 12。~ 火曜休館~ -リストの家 Liszt Haus~ 作曲家でピアニストのフランツ・リストは、ヴァイマールに1848年および1869〜1886年の2度にわたって住んでいる。~ 2度目にワイマールに戻った後の1869-1886年の間に「ハンガリー狂詩曲Hungarian Rhapsody」や「ファウスト交響曲Faust Symphony」を書いている。~ 現在はリストの博物館となっていて、楽譜や使っていたピアノなどが公開されている。~ イルム川公園Park An Der llmの西端~ 月曜休館~ -大公家の墓地 Goethe-Schiller-Gruft~ アウグスト大公や大公家の霊廟Furstengruft内にある歴史上の人物の墓地Historischer Friedhofの地下に、ゲーテとシラーの棺が並んで埋葬されている。~ 火曜休館~ -ゲーテ・シラー資料館 Goethe und Schillerarchiv~ ドイツにおける最も重要な文学資料館のひとつに数えられる。~ ゲーテとシラーの数々の著作や原稿の他に、10OO人ほどの人々からの書簡が保存されている。~ Jenaer Strasse~ -デモクラシー広場 Platz der Demokratie:~ 1875年制作のA.フォン・ドンドルフのザクセン・ワイマー・アイゼナッハ大公カール・アウグスト(1757〜1828)の騎馬像が立つ。~ ***周辺の見どころ [#gdd6d5aa] -ブーヘンヴァルト強制収容所記念館 Gedankstatte Buchenwald~ 市街から北西に約4km、エッタースベルクの丘にあるナチスの強制収容所。~ 1937年につくられ、1945年までにここで6万5千人以上が命を失った。~ 入口の門、見張塔、収容棟、鉄条網などが残っている。~ 1958年に記念館が建てられ、慰霊塔も置かれている。~ -ティーフルト城舘 Schloss Tiefurt :~ 市街から東に2km。~ アマーリア大公妃の夏の住居(18世紀)であったもので、英国風庭園に囲まれている。~ この城館と庭園は、大公妃の後援によってゲーテ、ヴイーラント、ヘルダー、シラー、フンボルトら文学者たちの出会いの中心地となった。~ ~ 1775年カール・アウグスト公に宰相として招聘されたゲーテの活躍の場で、26才から83才で没するまでゲーテ半生の活躍の拠点となった。ドイツの偉人シラー、ヘルダー、ハイネ、ニーチェ、トーマス・マン、リストなど多くの著名人の足跡が市内のいたるところに残る。音楽、芸術だけでなく、1919年のワイマール憲法採択の地でもある。~ *市内の見どころ [#a79412c9] -劇場広場 ・国民劇場 ~ ゲーテ『ファウスト』、シラー『ウィリアム・テル』が初公演された国民劇場は、1919年ワイマール憲法が採択された場所。この劇場前には、ゲーテとシラーの像が手を取り合って立っている。~ -ゲーテの家;~ ゲーテが最期の日まで住んでいた~ -シラーの家 ~ ゲーテの招きでシラーはワイマールに移り、1805年に亡くなるまでの3年間、この家に住んでいた。『ウィリアム・テル』はここで書かれた。併設の博物館にはシラーについての資料が展示される。~ -リストの家 ~ 作曲家でピアニストのフランツ・リストがワイマールに戻った後の1869〜1886年の間、住んだ家。現在はリストの博物館となっていて、楽譜や使っていたピアノなどが公開されている。~ -大公家の墓地 ~ -アウグスト大公や大公家の墓地。ここの地下には、特別にゲーテとシラーの棺が並んでいる。~ ~ -強制収容所ブーヘンヴァルト記念館 ~ ~ ~ ~ ~ ----~ #comment( {[above], [nodate], [noname]} ) #menu(ドイツメニュー)