[[イタリア/ナポリ・南イタリア]] *ポンペイ Pompei (カンパーニャ州) [#df6ba850] RIGHT:[[フォトギャラリーへどうぞ>http://www.sera9.com/photo/it-south/it-pompei.html]]Photo~ #ref(it-pompei-face.jpg,,,,,,70%)~ -ナポリから29km、ソレントから28km~ -人口:約2万6千人~ -ポンペイ近くの内陸部にある噴火口がえぐれた茶褐色の山がヴェスヴィオ山である。~ -ポンペイはナポリ同様、紀元前8世紀にオスク人によって建設が始まった都市で、紀元前6世紀になってギリシャの植民地として紀元前1世紀まで繁栄を続けていた。豊かな都市は道路や上下水道が整備され、優れた建築美を生み、芸術活動も盛んであった。そんな勢いは紀元前80年ローマの支配下に入っていてもギリシャ様式をそのまま受け継いでギリシャ様式の劇場なども建設されていた。~ -ローマ人の富裕な貴族たちが次々に別荘を持って定住し始め、ローマ風の建築や装飾がどんどん取り入れられていった。噴火直前の人口は2万5千人と、経済活動も盛んな町として繁栄の最中にあった。遺跡に見られる数多くの商店や小工場の作業場、幅広い石畳の通りがそれを物語っている。~ -西暦79年8月24日の炎天下、突然大爆発が起こり、火山灰と溶岩を噴き上げ、麓の町ポンペイをはじめ周辺地域一帯に降り注ぎ、一瞬のうちに町全体を埋め尽くしてしまった。79年の噴火の少し前、62年にこの地域に地震があり、ポンペイも大きな被害を受けており、その修復作業も終わらないうちの大噴火だった。~ -8月24日の噴火の瞬間にこれほど大量の火山灰が降り注ぐとは市民は想像しておらず、高く舞いあがった火山灰は2日間にわたって厚さ6〜7m積ってしまったという。そのまま1700年ほどの時がたち、18世紀半ばになってようやく組織的な発掘が開始されると、ヨーロッパ中が興奮の渦となった。~ -噴火前のヴェスヴィオ Vesuvia 山の麓一帯はぶどう畑があり、円錐形の山は鬱蒼と茂った森だった。この山へは登山電車が走っていて、そのときにPRソングとして誕生したのがナポリ民謡として世界中に知られる「フニクリ・フニクラ」である。~ 現在はこの電車もなく、周遊鉄道でPompei Villa dei Misteriのひとつ手前のエスコラーノ駅前からバスが出ている。~ ***アクセス(ナポリからの鉄道) [#v8ab99b5] -ヴェスーヴィオ周遊鉄道 Circumvesviana:~ 始発駅はナポリ中央駅の南西200m(Circumvesviana)。~ 中央駅(ガリバルディ)地下にも停車する。(現在工事中で中央駅24番ホームの先の通路を行くと切符売り場がある。~ 3つのルートがある。~ この鉄道は3つのルートがあり、ポンペイ遺跡へはソレントSorrento行きに乗る。~ 30分間隔だが、鈍行(50分)と快速運転(35分)するものもある。時刻表は出札所近くにポスターが貼ってある。~ 往復券を購入しておく方が便利だ。2人以上の場合には2人目から若干割引がある。~ 中央駅はプラットホームが2本あるので、ソレント方面に降りる。同じホームからはサルノSarno行きもあるので間違えないように注意する。~ -FS線はポンペイの新市街地に着くので、遺跡までは約15分歩く。~ (遺跡)~ 入口左手がチケット売り場で、近くにインフォメーションのブースがあるので、オーディオガイド用の地図があるのでそれをもらって見学するとわかりやすい。~ ***見どころ [#o09d8858] RIGHT:[[フォトギャラリー>http://www.sera9.com/photo/it-south/it-pompei.html]]Photo~ ポンペイ遺跡の見学には、商業地区だったところを中心に通常のツアーではおよそ2時間程度で切り上げているが、発掘作業調査が終わって一般公開されているところをすべて見学して回るとたっぷり1日掛かってしまう。~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ----~ #comment( {[above], [nodate], [noname]} ) #menu(イタリアメニュー)