クロアチア

歴史・世界遺産・国立公園

歴史

民族移動の通り道となっていたバルカンの地。6世紀頃、現在のクロアチアに南スラブ人が移住する。やがてブルガリア、セルビア、クロアチア、スロベニアの4民族に発展。9世紀頃からスプリットやドブロブニクなどがあるダルマチア地方を中心にキリスト教宣教師による布教を受けた。東方正教を信じたセルビア人とは対照的に、この時期からクロアチア人は西ヨーロッパ文化圏へと組み込まれるようになっていく。 10世紀初めに最初のクロアチア王国が建国。ダルマチアからバルカン半島西部へと拡大し、ビザンチン帝国に対抗する規模にもなった。11世紀には強大な2つの隣国の影響により、国内はベネチア派とハンガリー派の2大勢力に分断される。ベネチア派のペーテル・スラバクの戦死をきっかけにして、1102年ハンガリーはクロアチアと連合条約を結ぶ。以降第一次大戦までの間、ハンガリー王国と後のオーストリア=ハンガリー帝国の支配下におかれることとなる。

スロベニアとクロアチアは14世紀以来オーストリア・ハプスブルグ家の支配下にあった。ボスニアに居住していたセルビア人、クロアチア人はオスマン・トルコの支配下で、イスラム教に改宗させられていた。セルビア、モンテネグロもオスマン・トルコ支配下にあったが、1878年のベルリン条約で王国としてそれぞれ独立し、行政権がオスマン・トルコからオーストリア・ハンガリー帝国に移行。1908年にオーストリア・ハンガリー帝国に併合される。
第一次世界大戦では、オーストリア=ハンガリー帝国支配下のスロベニア・クロアチア人と連合国側についたセルビア・モンテネグロ人が戦闘を交えた。オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊により、1918年セルビア=クロアチア=スロベニア王国が成立。1929年ユーゴスラビア王国と改称した。

1941年ドイツ軍が侵入占領、共産党がパルチザン闘争を展開した。1945年にはユーゴスラビア連邦人民共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国で構成)が成立。チトーが大統領となり、ソ連圏から離反することとなった。1963年国名をユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称した。

1980年大統領チトーが死去、1990年にセルビア民族主義のミロシェビッチがセルビア共和国大統領に当選すると徐々に民族間の紛争が表面化しはじめた。各国が独立の機運を強めるようになっていく。
1991年6月スロベニア、クロアチア両共和国が独立宣言。TA

世界遺産; 6箇所

国立公園; 8公園


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