中国/吉林省

集安(しゅうあん/ Jian /ジーアン)

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高句麗遺跡

高句麗は、BC1世紀からAD7世紀まで栄えた国.
新羅、百済とともに朝鮮半島で三国時代を形成していた時代に高句麗は、現在の中国東北地方を拠点に吉林省、遼寧省から朝鮮半島北部(現在の北朝鮮)にまで支配領域が及んでいた王国。
遼寧省の桓仁に建国し、3世紀前半からピョンヤン(北朝鮮) に遷都する427年まで吉林省の集安に遷都していたため、集安には当時の遺跡が数多く残されている。
高句麓の都は、平地の時の王の居城と戦時の時の山城を備えるのが基本だった。
集安の場合は、平時の居城が国内城、戦時の時の山城が丸都山城となる。
両方の城の周辺に、多数の王陵、古墳が散らばつている。
古墳の中には彩色豊かな壁画が残されているものがあり、高句麗遺跡見学の価値を高めている。
建国当初の遼寧省桓仁は五女山城が残されており、ここも世界遺産に指定されている。

高句麗古墳

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高句麗時代の古墓群は集安の洞溝河の河畔に王墓・貴族墓あわせて30か所以上ある。
規模が大きく、整然と並んでいる墓の数はあわせて約1万にもなる。
集安の高句麗の古墳は、初期は石を積み上げてつくる「積石塚」だが、次第に石室を土でおおう「封土壌」へと変化している。
古墳の副葬品の多くは盗掘されているが、古墳内の壁画が多く残されている。
4〜6世紀にかけて制作されたと思われ、高句麗の社会風俗や墓主の生前の生活、四神図、仏像、神霊、動物など多岐にわたっている。