ドイツ/ミュンヘン・アルペン街道・バイエルン地方

バイロイト Bayreuth

(バイエルン州)
人口:約75000人

アクセス

バイロイト音楽祭が誕生した経緯

バイロイトは1603年以来、ブランデンブルク・バイエルン辺境伯が住むひっそりした静かな田舎町ではあったが、18世紀にはいって突然黄金時代に入る。
その立役者はフリードリヒ辺境伯の皇女ヴイルヘルミ−ネ(1709−1758)である。
プロイセンのフリードリヒウィルヘルムー世を父に持つヴイルヘルミ−ネは兄フリードリヒ大王同様、彼女自身も王位継承権をもっていた。彼女はイギリス王室へ嫁ぐ予定をしていたが、意に反してフリードリヒ辺境伯との結婚を強いられた。
しかし夫のフリードリヒ辺境伯が凡庸な人間だったため、知性豊かな彼女は周囲の才能豊かな人々に関心を寄せることになったのだった。
そして、ヨーロッパ最高の芸術家、詩人、作曲家、建築家を宮廷に呼び寄せるために、 ここをヨーロッパ屈指のバロック・ロココ都市にしようと、新宮殿や辺境伯歌劇場など積極的に街づくりを始める。
彼女は文才もあり、建築にも造詣が深く、音楽芸術の愛好家であると同時に学問・芸術の庇護者(メセナ)でもあった。
彼女が亡くなる頃には、バイロイトの町はヨーロッパでも屈指の建築物のある都市となっていた。
そんなバイロイトが、自分の作曲した作品を思う存分演奏してくれと懇願されていたのがリヒヤルト・ワーグナー(1813〜83年)で、のちににここで演奏会を行ったのが、その後のバイロイト音楽祭のきっかけとなった。
そのころワーグナーは新しい音楽ジャンルの創始者として各地で活動を続けながら、自作の上演に最もふさわしい場所を探していたが、1872年バイロイトからの誘致を受けてここを選んだ。
ご寵愛を受けていたバイエルン王ルートヴィヒ2世の要請を受けて祝祭劇場Festspielhausの建設が進められ、1876年に「ニーベルンゲンの指輪」でこけらおとしが行われた。
ワーグナー自身が築き上げた伝統は、その死後もコージマの熱意で守られ、その後も息子のジークフリートに引き継がれた。さらに孫のウイーラント(1966年没)が新感覚による一新を計り、現在はヴオルフガンク・ワーグナーが受け継いでいる。
毎年、世界各国から集まる一流の演奏家たちが、ワーグナーの作品を上演して聴衆を魅了している。

見どころ