湖南省・衡山

南台寺 (なんだいじ)

日本の曹洞宗の祖庭
紀元502−519年(梁の天監年代)に建立され、海印という禅師がこの寺院を建てたと伝えられている。元は 南寺と呼ばれていたのだが、寺の側にある石が台として使われたことで、のちに南台寺と改められた。唐代の天宝時代に建て直され、宋の時代に至ると、寺はさらに勇壮偉大になる。明代には南台寺は一度廃墟となったが、後に修復された。
736−1820年(清朝乾隆の嘉慶時代)に寺の僧が南岳廟の西廊下に個人の寺を建て、名は老南といい、元の寺は廃になった。清朝末に修復された当時、日本人僧の梅暁六休がここを訪れ、南台寺が修復されるのを見て、『大蔵経』を一部贈った。5年後に鉄眼版『大蔵経』五千七百巻余りをまた南台寺に贈った。742−755年(唐代天宝年代)に仏教禅宗の八祖石頭希遷禅師がここで修行をし、『草庵歌』『参同契』を書き、仏法を広く伝え、禅宗南北両派を和解させ、その名は大いに広まった。
禅宗には五大派があり、石頭希遷師の弟子は、南台寺でそのうちの曹洞宗、雲門宗、法眼宗の三派を創立し、後にまた沢山の弟子を世の中に送った。南台寺はまたこのごとから、、天下法源の名を持つ。(資料サポートツアー)