スペイン
マドリッド MADRID †
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空 港 †
バラハス空港 Madrid Barajas International Airport (コード;MAD)
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4つのターミナルがある。
ターミナル1:国際線の発着便
ターミナル2:シェンゲン協定国の発着便および国内線
ターミナル3:バルセロナとのシャトル便
ターミナル4;イベリア航空(IB)
鉄道駅; †
市内交通 †
市内には地下鉄路線があり、ホテルエリアや繁華街を結んでいる。
国鉄のターミナル各駅にも接続している。
街の様子 †
広いマドリッドの中で最もにぎわう中心地はプエルタ・デル・ソルという広場で、このあたりがマドリッドの旧市街地となっている。周辺にはマヨール広場、スペイン広場、目抜き通りのグランビアなどあり、ショッピングにも食事にも便利な地域である。
「旅行事情」でも述べたように、この街の治安に関してはすこぶる評判が悪い。人通りの少ないところは歩かないようにし、かつ人ごみの中でも注意が必要。
見どころ †
- 王宮 Palacio Real
イスラム教徒が築いた城塞はその後逐次改修されてきたが、1561年フェリペ2世が首都をマドリッドに移してからは、ハプスブルグ家としての城塞が完成していた。しかし、その後のブルボン家出身のフェリペ5世はベルサイユに育ったこともあり、ハプスブルグ家の城塞は気に入らず、1734年12月の火災で焼失してしまったのを機にイタリア人建築家に命じて王宮の設計をさせた。1738年から26年間の歳月をかけてできあがったのが現在の王宮である。
一辺が150mの四角い建物は2800の部屋があり、各部屋とも絢爛豪華そのものの装飾が施されている。
ここは現在でも迎賓館として賓客のレセプションなどや公式の晩餐会などに利用されているため、手入れが行き届いている。公式の行事が行われる日を除いて一般に公開されている。見学ルートはこのうち50ほどの部屋で、ガイドの引率による入場にはセキュリティチェックも厳しく行われている。
- スペイン広場 Plaza de Espagna
ツアーで必ず下車する広場だ。
やせ馬に乗ったドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像とこの作品を生み出した文豪セルバンテスが鎮座する石像のある広場である。セルバンテス没後300周年を記念してこの碑が立てられた。セルバンテスの後ろには高い塔があり、その上で5つの大陸を表す5人が地球を捧げている像がある。
- プエルタ・デル・ソル Puerta del Sol
スペイン語で「太陽の門」の意。
この広場には16世紀までは城門があったが、現在は一つもない。
広場に面したマドリッド県の自治政庁舎の建物の前の歩道には、スペイン全土の起点0kmを示す里程標の石が埋め込まれている。かつてはスペイン各地につながっていた10本の道が放射状に延びていた。
広場に北側には、リンゴの木によじ登る熊の像が立っている。マドリッド市の紋章を彫刻したものである。
また、この広場は1808年5月2日のナポレオン軍の侵攻に対して市民が素手で立ち向かった場所として特別な意味を持つところでもある。この反乱に加わった人たちは翌日町外れのプリンシペ・ピオの丘の上で処刑された。
この歴史的事実を描いたのが、ゴヤの「5月2日」と「5月3日」の2作で、プラド美術館の展示されている。
スペイン全土の起点0kmを示す里程標の石が埋め込まれている。
- マヨール広場 Plaza de Mayor
マドリッドの下町の喧騒の中に、周辺を4階建ての建物に囲まれた128m×94mという大きな広場が存在する。しかもとても静かである。1619年にフェリペ3世によって建造されたもので、国王の宣誓式や闘牛、宗教裁判の処刑場などさまざまな行事に利用された。広場中央にはフェリペ3世の騎馬像が建っている。
建物の1階は商店やカフェになっていて、広場にもテーブルを出しているので、座ってコーヒーでも飲みながら休憩できる(ただし値段は巷の倍近い)。この広場では日曜日午前中に切手市とコインの市が立ち、クリスマスシーズンはクリスマス用品の露天で賑わう。
- プラド美術館 Museo del Prado
パリ/ルーブル美術館、ロンドン/大英博物館、サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館と並び、世界4大美術館の一つといわれている。スペインに80以上ある美術館・博物館の中で最高峰的存在。
この美術館の展示作品は、スペイン派、イタリア・ヴェネチア派、フランダース派に大別される。
館内はビデオは不可だが、カメラでの撮影はOK。ただし、フラッシュは禁止。
大きな荷物の持ち込みはできず、入口脇のクローク(無料)で預けなければならない。
おもな作品:
- エル・グレコ:「精霊降臨」「胸に手を置く騎士」
- ベラスケス:「ラス・メニーナス(官女たち)」
- ムリーリョ:「無原罪のお宿り」
- ゴヤ:「裸のマハ」「着衣のマハ」「カルロス4世家族」「5月3日」
- 国立ソフィア王妃芸術センター Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia
国内最大の現代美術館として1992年にオープン。建物そのものは石造りのサン・カルロス病院だったところで、中庭の周りをとりまくように建てられている。これに外部にガラス張りのエレベーターつきのエントランス部分を加えている。3階と5階が常設展になっている。
所蔵コレクションが絵画、彫刻、版画、スケッチ、写真、装飾アートなど合計1万点以上もあり、ゆっくり鑑賞していたらとても時間がかかってしまうが、あまり急いでいると館内で迷ってしまう。
5階は20世紀後半の絵画を中心とした前衛芸術の展示。さすがピカソらを生んだ国だけあって、その後継者たちの作品はキャンバスから飛び出さんばかりの勢いがある(本当に飛び出しているものもあるが)。芸術系の学生には大いに刺激になるはずだ。
3階は20世紀前半の現在芸術の巨匠たちの作品の展示。ピカソ、ダリ、ミロなどの作品が一堂に収められているので、比較対照ができる。そして、このフロアにあるピカソの大作「ゲルニカ」が、この美術館の最大の目玉となっている。
館内はカメラ、ビデオともに不可。荷物の持ち込みもかなり厳しく、セカンドバッグ程度の小さなもの以外は入口脇のクローク(無料)で預けなければならない。
ガイドツアーの場合、「ゲルニカ」の前にくるとお客様の動きは止まってしまうので、通常は裏側にあるミロの展示を説明してからゲルニカの前へ出る。
(ゲルニカ)
バスク地方、ビルバオ近郊の町の名前。この地方はもともと自由主義思想が強く、フランコ政権に反旗を翻していた。そして1937年スペイン市民戦争の最中、フランコの要請といわれるドイツ空軍の大爆撃がなされ、町は破壊されてしまった。パリでその知らせを聞いて憤慨したピカソが、ゲルニカ市民を襲った凄惨な事件を表現したのが、この同名の作品。349cm×777cmの大作を1か月余りの期間で一気に書き上げた。
パリ万博で公開された後、スペインからの亡命者援助資金を募るためにヨーロッパ内を巡回、展示された。ソフィア王妃芸術センターの前はプラド美術館別館に展示されていたが、当時は政治色の強い「問題作」であり前面に防護ガラスが立てられていた。
- ティッセン=ボルネミッサ美術館 Museo Thyssen-Bornemisza
ティッセン=ボルネミッサ家のコレクションをスペイン政府が買い上げ、展示している。
建物は18世末に着工したネオクラシック様式。中世から現代のヨーロッパ絵画が多岐に渡り収集され、カテゴリーごとにまとめて展示されている。特にフランドル絵画が充実している。よく見るとエル・グレコ、ダリ、ピカソなどの作品もあるが、コレクションの範囲が幅広い分だけそれぞれの点数は少なく、サイズも大きくはない。プラドやソフィアに比べるとインパクトが薄いことは否めない。
略史 †
この国の歴史の長さから見ると、マドリッドが本格的に都市建設に着手したのは、中世以降と比較的新しい。それ以前はイスラム教徒が9世紀に今の王宮のあるところに砦を築いていた。この砦をアラビア語でマヘリットと言い、マドリッドの語源とされている。
1561年に当時の国王ハプスブルグ家のフェリペ2世が宮廷をトレドからマドリッドに移したのに伴い、首都と定められた。この時代にマヨール広場などができあがり、後のブルボン家の時代、特にカルロス3世の時代には建設ラッシュとも言われるほどで、アルカラ門、プラド美術館などが建てられ、新しい道路も整備されるようになっていった。
19世紀後半になると、さらに一回り大きな都市として周辺部が開発され、サラマンカ地区、チャンベリ地区と言った碁盤の目のような街並みが整備されてきた。