モンテネグロ
プリェブリヤ Pljevlja †
- 現在のプリェブリヤの町はチェホティナ川とブレズニッア川のほとりにつくられた。
- 町の名前と支配者は幾度も替わったが、それはプリェブリヤがドブロブニクとスコピェを結ぶ街道の要所を占めていたからである。
おかげで多様な文化遺産に恵まれることにもなった。
- トルコは1464年に中世都市ブレズニッアを征服、タスリジャと改名した。
史料に見えるプリェブリヤの名の初出は1430年、タスリジャは1469年である。
1583年から1831年まで、トルコのヘルツェゴビナ藩の藩庁所在地だった。
- モンテネグロ軍によって解放されるのは1912年のことである。
見どころ †
- フセイン=パシャ・モスク
モスクは16世紀末に建設。
内部は植物文様やコーランの引用で豪華に装飾されている。
ミナレット(光塔)は1911年に増築。
バルカン半島のオリエント風宗教建築のなかでも特に美しく、調和のとれた形はイスタンブールのメフメド=パシャ・ソコロピッチのマドラサ(学校)を手本としたもので、エジプトから運ばれてきた装飾が用いられている。
モスクには16世紀の『コーラン』写本が保存されている。
近郊 †
- 聖三位一体修道院
- 記録では1537年頃、修道士ピサリオンが、たぶん古い聖堂の土台の上に教会を建てたものとされている。ナオス(身廊)と祭壇部がそれである。1592年には円蓋を持つナルテックス(前堂)が増築されるが、それは修道士ゲオルギェの功績だという。
- 現在のような形になったのは1875−86年のこと。
基本的には三廊式バシリカだが、祭壇部はラシュカ派風の三葉型平面図によっている。
- 教会のフレスコ画は1592−95年に描かれたもの。ナオス(身廊)下部に聖者立像(聖戦士)が描かれている。ブディムリヤの僧ストラヒニヤの作とされる。
上部は大祭図とキリストの受難である。ナルテックス(前堂)には伝統にしたがい、キリストの奇蹟とごう話の連作や、復活祭福音書の図解となる作品が見られる。
- 修道院宝物室には多数のイコンや金細工や古い刺繍のコレクションのほか、図書室には貴重な古写本も多く保存されている。イコノスタス(聖障)は.ピエロ・ポリェの僧シメオン・ラーゾピッチが1806−07年に制作したものとされている。
- ムニシピウム・S遺跡
コミナ村
モンテネグロ国内でいちばん重要なローマ時代の遺跡とされる。
(参考資料:Montenegro Guide by Studio Strugar)