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[[カナダ]]

*カナダの歴史 [#c83198a9]
カナダには国家としてはヨーロッパやアジアのような古い歴史はなく、あまり歴史のことを語る機会もないが、その生い立ちからアメリカ合衆国と深い関わりを持っている。フランスや英国とのつながりは今でも言語や習慣などで深い関係を保っているため、実際にカナダを旅行した人たちはその影響力を感じるし、添乗中にも訪れる観光ポイントでも、その背景を踏まえたしっかりした説明が求められることもある。

**先住民族の時代 [#xb41b37b]
-3万〜1万年前、シベリアからアジア人が北米タイル区に住み着く~
-1000年前、北欧バイキングがニューファンドランド島北部に短期入植~
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ベーリング海峡を渡って北米大陸にやって来た、彼らは定住した地域などにより独自の文化や言語を発達させていった。先住民族はファースト・ネイションズと呼ばれ~~
ヨーロッパの人々がカナダに足を踏み入れたのは10世紀に入ってからで、北欧のバイキングが豊かな漁業資源に目をつけたのが始まりである~

**フランス/英国による植民地化 [#m6883cb3]
-1497年、ジョバンニ・カボットが英国ヘンリー7世の特命を受けて遠征。~
カナダ東海岸、セント・ジョン島(現ニューファンドランド島)に上陸。~
-1534年、ジャック・カルティエが国王の命を受けてガスペ半島に上陸。~
フランス領土を宣言。~
-1535年、カルティエがセント・ローレンス川を遡り、現在のモントリオール、ケベック・シティ、さらに5大湖周辺でフランス植民地開拓が始まる。~
-1583年、英国人ギルバートがニューファンドランドに上陸、英国領と宣言。~
-1604年、フランス人シャンプランが現在のノバ・スコシア州にフランス領の植民地を建設。~
-1608年、シャンプラン、ケベックにフランス植民地(ヌーベル・フランス)を建設。~
-1610年、ヘンリー・ハドソンが大陸を西へ進み、湾を発見。ハドソン湾と命名。~
-1615年、カナダ最初のカトリック教会が原住民にキリスト教を普及しようと試みる。~
-1627年、フランスが「ヌーベル・フランス会社」を設立。カナダ植民地経営を任せる。^
-1642年、フランスが現在のモントリオールを建設。^
-1670年、英国が「ハドソンズ・ベイ社」設立。毛皮貿易などに力を注ぎ、大西洋沿岸の開拓にも乗り出す。^
-1713年、ユトレヒト条約でニューファンドランド、アカディア、ハドソン湾岸がイギリス領となる。^
-1749年、英国、ハリファックスに軍隊駐屯地を設置。~
-1763年、7年戦争でフランスが敗れ、パリ条約締結。ヌーベル・フランスはケベックと改名され、英国に割譲。^
-1775年、アメリカ独立戦争はじまる(〜1783年)。
-1776年、アメリカ独立宣言。アメリカはケベックに侵入したが、英国軍が本国から派遣されアメリカ軍は退去。~
-1791年、ケベック植民地をオタワ川で二分。西側はアッパー・カナダ(カナダ・ウエスト。現在のオンタリオ州)、東側が(フランス人が多く住む地域)ローワー・カナダ(カナダ・イースト。現在のケベック州)。~
-1792〜94年、毎夏、キャプテン・ジョージ・バンクーバーがブリティッシュ・コロンビアとバンクーバー島を探検。~
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ヨーロッパ諸国が北米大陸に進出し、カナダではフランスが主導権を握ってきた。その後、本国での戦争がこの地にも飛び火することとなった。疲弊したフランスは北米での植民地計画を放棄することになり、カナダは英国が支配するようになった。~
同じように英国の植民地であったアメリカは独立を果たし、カナダもアメリカと同調するのではないかという見方もあったが、英国王党派の退避先でもあったカナダは英国を支持し続けた。しかし、強大化する隣国アメリカの脅威を感じることが、カナダの統一、英連邦の一員としての独立を促すこととなった。~

**アメリカの進出/カナダの誕生 [#dec385f6]
-1812年、米西戦争。アメリカがカナダと英国に宣戦布告。^
-1841年、カナダ法により、アッパー・ローワー両カナダが統合。首都はキングストン。^
-1846年、アメリカとの国境を北緯49度に制定。^
-1848年、ノバ・スコシアに初の責任政府。^
-1859年、首都をオタワにする。^
-1864年、シャーロットタウン会議、ケベック会議で連邦結成のための決議が採択。^
-1867年、「英領北アメリカ法」を制定し、カナダ連邦が成立。カナダ・イースト、カナダ・ウエスト、ノバ・スコシア、ニュー・ブランズウィックの4植民地が参加。カナダの誕生となる。^
-1868年、ハドソン・ベイ社が所有していたハドソン湾以西の領土ルパーツランドを横断鉄道の敷設を条件に連邦政府に委譲。^
-1870年、マニトバ州、ルパーツランドから分離、連邦に加入。^
-1871年、ブリティッシュ・コロンビア州、連邦に加入。^
-1873年、プリンス・エドワード・アイランド州、連邦に加入。^
-1896年、ユーコンで金鉱発見。ゴールドラッシュ始まる。^
-1898年、ユーコン準州が成立。^
-1905年、アルバータ州、サスカチュワン州、ルパーツランドから分離、連邦に加入。ルパーツランドの残りの地域がノースウエスト準州となる。~
-1931年、ウエストミンスター条約により、完全な自治を獲得。~
-1945年、国連加盟。~
-1949年、ニューファンドランド州、連邦に加入。~
-1967年、モントリオール万博開催。~
-1976年、モントリオールオリンピック開催。~
-1982年、カナダ自主憲法成立。~
-1988年、カルガリー冬季オリンピック開催。~
-1999年、ノースウエスト準州から分離してヌナブト準州誕生。~
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現在のカナダは英連邦の一員ではあるが、完全な自治国家である。国際的な役割を果たし、人権の尊重、自然環境保護への取り組みにも実績を残している。国内の各州は独自性を保ちながらも、国としての調和をとっている。~

*日本との交流 [#x7bc0a20]
1873年にカナダ人宣教師が来日したのが、歴史的な日本とカナダの初めての交流とされているが、日本からカナダへの人の流れは移民から始まった。1877年に、初の日本人移民として永野萬蔵がB.C.州のニュー・ウェストミンスターに到着した。その10年後に横浜とバンクーバーの間で蒸気船航路が確立されると、バンクーバーにおける日本人移民は次第に増え、1889年には、カナダに設置された日本政府機関の第一号として在バンクーバー日本国領事館が開設された。多くの移民はアメリカ合衆国への移住を目指していたため、バンクーバーに留まる者は少数だったものの、20世紀に入りアメリカがハワイ経由での本土転航を厳しく制限するようになると、カナダへの移住者数は飛躍的に増加した。~
その頃の両国間の貿易は、カナダからは木材、石炭、小麦、海産物などが輸入され、日本からは絹や緑茶、そして温州みかんも輸出されていた。~
1928年、カナダ側から外交関係を開設したいとの意向が伝達され、オタワに日本公使館、翌1929年には東京にカナダ公使館が開設された。~
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しかし、1941年の太平洋戦争の勃発で、両国は国交を断絶。当時の日系カナダ人は推定2万3千人で、そのほとんどがB.C.州沿岸に集中していたが、内陸部へ強制移住することとなり、苦難の時代を過ごすことになった。~
戦後は国交を回復し、カナダは日本のGATT(関税貿易一般協定)加盟を支持し、国連への加盟申請にも賛成票を投じた。以降、両国は良好な関係を築いている。~
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現在、日本はカナダにとってアメリカに次ぐ第二位の貿易相手国となっている。2004年、日本からカナダへの輸出は自動車関連など約8262億円、輸入が木材、豚肉、石炭など約9073億円。そのうち約半数がB.C.州との貿易で占められている。~
カナダに在住している日本人は約3万8千人。日本に在住しているカナダ人は約1万2千人にのぼっている。また、1986年より、渡航先でアルバイトをしながら長期滞在ができるワーキング・ホリデー制度が両国の間で実施されており、2004年には約5千人の日本人青年にビザが発行されている(カナダからは約800人)。~