パレンケ Palenque

概要

バレンケは、西のマヤの中心地として栄えた遺跡で、年間雨量が3000mmに達する熱帯雨林に囲まれた山裾にあり、遺跡はメキシコ湾に続く湿原を見下ろすチアバス州北東の高地の北端の位置する。
ユカタン半島と異なって、チアバス州は水と緑に恵まれたところ。うっそうとしたジャングルの中に渓流が走り、周辺は広大な牧草地帯である。

バレンケは、西のマヤの中心地として栄えた遺跡で、熱帯雨林に立ち並ぶ漆喰塗りで覆われた建造物は、どことなく東洋的なイメージを感じさせる。
石柱、浅浮彫りの彫刻、装飾品なども繊細。今も聖地としてあがめに来る人が少なくはない。

マヤ文明の高度さを示す古典期後期の遺跡で、高さ23mのビラミッドをはじめ、天体観測に使われたと推測されるマヤでも異色の4階建て大宮殿など、未解明を含め、500を超す建造物がジャングルに点在する。
18世紀に発見され、今も研究と修復が進む遺跡。

他の古典期マヤ都市に見られる石碑に代わって、象形碑文の石板が多数発見された。
600を超す石板が発見さた神殿は「碑銘の神殿」と呼ばれ、大宮殿内の塔の南階段にはめ込まれた「96文字の鏡板」は、マヤの文字資料の中でも最も美しい碑文の1つとされる。
パレンケの碑文には王朝史や神話が刻まれ、パレンケにマヤ世界で唯一の女系の王が存在したことを示す。また、おびただしい象形碑文は、古代マヤ人の世界観を解明する貴重な情報源となっている。

パレンケの王朝史は431年に即位した王朝創始者クック・パラムに始まるが、初期の王たちの資料は得られておらず、碑文の考古学的記録では、パレンケの基礎は母サク・クックから王位を継いだハナプ・パルカ2世(パカル大王)治世の7世紀に築かれ発展した。
9世紀半ばに王朝巨大都市は放棄されたと推測されている。

同じマヤ遺跡でもユカタン半島のチチエン・イッツァーやウシュマルは、祭祀目的の神殿や王様の宮殿があったが、バレンケには墓所があるなど、それぞれひと味異なる特徴がある。
観光はビジャエルモツサを拠点としているが、バレンケ周辺にも大型のホテルが建設されている。(参考資料:観光局)


パレンケへのアクセス

陸路

ビジャエルモッサ空港から南東へ約143km、車で約2時間
パレンケヘの道中は山や丘陵が連なる牧歌的な景色が続く。遺跡から8kmほど北にパレンケの町がある。


パレンケ遺跡の主な見どころ

8:00~17:00 無休
料金:入場料のほか、ビデオ持ち込みには料金を徴収される。

碑銘の神殿 Templo de los lnscripciones
ピラミッドの地下に王の墓
パレンケが頂点を極めた7世紀の統治者パカル王の墓室の上を覆うように増設された高さ22mの神殿。神殿上部の内壁にマヤ絵文字の碑文が彫られていることから『碑銘の神殿』と呼ばれる。上部から狭い階段を降りて、王の墓室へ入れる。

宮殿 El Palacio
しっとりとたたずむ華麗な宮殿
王、神官の執務所、住居であったと推測される建造物。漆喰装飾が施された角柱は天井、屋根裏部屋を支えたものだが、漆喰の代わりに平たい軟石を使った部分も見られる。他のマヤ遺跡では見られない「見張り塔」が立つのも珍しい。

太陽の神殿 Templo del Sol
太陽を表す戦いの神のレリーフが残ることからこの名がついている。「葉の十字架の神殿」「十字架の神殿」とは配置上、同じグループとされているが、それぞれに特徴的な飾り屋根、彫刻、壁画が残っている。(観光局資料)


パレンケの近郊

パレンケのさらに奥地にボナンパック、ヤシュチランなどの貴重なマヤ遺跡がある。
治安の安定、アクセス路の整備などで以前に比べ訪れやすくなっている。
自然も豊富で、川下り、ジャングルトレッキングを兼ねた遺跡巡りが可能だ