概要 多くのユダヤ人の命を救ったことで知られる、杉原千畝領事代理ゆかりの地 中世の面影を残すリトアニア第2の都市。 ネムナス川とネリス川の合流地点に位置する。 リトアニア第二の都市で第1次大戦と第2次大戦の間、ヴィリニュスがポーランドに占領された際に一時的にリトアニアの首都だった。 15世紀にはハンザ同盟の代表部が設けられ、商業や文化の中心となっていた。 市民のほとんどをリトアニア人が占め、現在も伝統文化が残された町となっている。 旧市街の市庁舎広場 Rotuses Aikste 周辺にゴシック様式の歴史建築が集まっている。TA 杉原千畝 (すぎはら ちうね 1900〜1986) 第二次大戦初期、リトアニアの首都がカウナスだった当時、ここに置かれていた日本総領事館の領事代理を務めていた。 1940年、ナチス・ドイツに追われポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人たちは、シベリア経由で米大陸に逃れようとして日本の通過ビザを求めた。 杉原千畝氏はビザ発給許可を本国日本に繰り返し打診したが、当時日本はドイツと同盟を結んでいた事情もあってその許可は下りなかった。しかし、領事館前に集まり救いを求めるユダヤ人たちをどうしても放っておくことはできず、ついに本国の許可がないまま独断でビザ発行を決意したという。自らの退去する期日が迫る状況の中でも、彼は毎日朝から晩まで休まずにビザを書き続け、それはリトアニアを脱出する列車内まで続いた。この時に発行されたビザの数は3000におよび、ビザによって日本経由で他国へ移動できたユダヤ人は6000人以上とされる。 杉原氏の功績はリトアニアでも評価され、旧日本総領事館は杉原記念館として保存されている。現在でも彼の功績が両国を結んでいる。TA 見どころ ヴィエニーベス広場 Vienybes Aikste 大聖堂 Arkikatedra Bazilika 15世紀に建てられたリトアニアのカトリックの本拠となる大聖堂。 1771年の再建時に赤レンガ造りとなり、ゴシック様式とルネッサンス様式の両方が見られる。 内部にあるフレスコ画や17世紀のバロック風装飾がある祭壇などが美しい。 また、リトアニア最大級のパイプオルガンもある。外壁には、教会の神父で詩人でもあったマイロニスの墓がある。TA 旧市庁舎 Rotuse バロック様式の建物は、その白く優雅な姿から「白鳥」と呼ばれる。 16世紀に建てられたが大火で焼失した後18世紀に再建された。 帝政ロシア領となった時代には政治犯の牢獄としても使用されていた。現在は、結婚登記所となっている。 建物の前にある石畳の旧市庁舎広場は、中世に市場が立った場所で周囲を商家で囲まれていた。TA カウナス城 Kaunas Pilis ネリス川を国境として戦闘が行われた13世紀に建てられた古城跡。 当初は4つの塔を持っていたが、川の氾濫により北側は流されてしまった。 現在は修復された塔と城壁の一部が川沿いの土手に残されている。TA 旧日本領事館(杉浦記念館) 第二次大戦初期、ナチスの迫害を逃れようとしたユダヤ人を救った杉原千畝氏。本国の命に背いて3000を超える数のビザを発給し続けた彼の功績は、映画などでも紹介されている。その舞台となったのがカウナスの旧日本総領事館で、現在は杉原記念館として保存。館内には杉原氏を記念した展示室のほか、日本文化研究センターも開設されている。なおリトアニア国内でも高く評価され、ビリニュスには彼の名前を付けた通りがあるほか、桜の記念植樹も行われている。TA ヴィタウタス大公教会 Vytauto Didziojo Baznycia ペリクナスの家 Perkuno Namas 16世紀に貿易事務所として建てられたゴシック様式の建築 近 郊 第9要塞博物館; 19世紀、ロシア帝国が建造した要塞跡。 第2次世界大戦のとき、ナチスの強制収容所になっていた 当時のナチスによる拷問の部屋などが残る。 シャウレイ(十字架の丘) パジャイスリス修道院 Pazaislio Vienuolynas 18世紀のバロック様式の修道院。 リトアニア民族生活博物館 Lietuvos Liaudies Buities Muziejus |