郵便番号 87100
人口 約87,000人
標高 238m
カラブリア州県庁所在地。


概要
ティレニア海沿岸から内陸へ約40km入ったところに位置する。
クラティCrati川とブセントBusento川の合流点近くの、
クラーティ川の岸辺の中世の雰囲気をたたえた古い町
ブルティイ族の本拠地として誕生した町。
階段の狭いくねくねいた路地がいくつもある。

16世紀初めに創立されたコゼンツア・アカデミーAcccademia Cosentinaがコゼンツァの名を高め、カラブリア大学 Universita della Calabriaとしてそのの伝統を今も受け継いでいる。



コゼンツァへのアクセス
鉄道
ローマ、ナポリ方面からシチリア島方面行きのティレニア海沿岸を走る本線のパオラ駅Paolaで乗り継ぎ。
シバリSibariウ行きで約30分でコゼンツァへ、ほぼ1時間間隔。
コゼンツァ駅は新駅 Nuovaとなっており、町の中心の北東約2kmのところにある。
バスNo15、16、28が町と新しい駅「スタツイオーネ・ヌオーヴァStazione Nuova」の間を運行している。

バス
中央バスターミナルはフェーラ広場のすぐ北東。
バスは、カタンザ一ロ、パオラ、それにシーラ山地の町々との間を運行している。

北ティレニア海岸沿いに毎日5〜6本運行しており、遠くはプライア・ア・マーレPraia a Mareまで行く。

毎日2本、コゼンツァとクロトーネ間を往復している。

それぞれバス会社が異なる。



コゼンツァ市街地
バスターミナルそばのフェーラ広場 Piazza Feraから南へ、メインストリートのマッツイーニ大通り Corso Mazziniが通っており、トリエステ通り Viale Triesteと交差した後、ブルッィ広場 Piazza dei Bruziに至る。
ホテル、レストラン、銀行、観光案内所は、この交差点から歩いて10分以内の場所にかたまっている。
さらに南へ下り、ブセントBusento川を渡った先に中世の旧市街がある。

テレジオ大通り Corso Telesio:
1898年までは「商人と金細工商の通り」と呼ばれていたことからもわかるように,職人の店や商店が多い通りで,曲がりくねった坂道となって旧市街を横切つている。
この魅力的な住宅地域内には階段や通り抜けの小道になっていることも多い路地がまだまだ残っており,中世の香りが色濃く感じられる。



コゼンツァの見どころ
度重なる大地震で古い建造物が崩壊してしまっている。
とりたててみておかなくてはというほどの観光資源はない。

3月15日広場 Piazza XV Marzo
旧市街の中心部の南端に位置する。広場に面して、
政庁舎 Palazzo della Prefettura e dell'Administrazione Provinciale
アカデミア・コゼンティーナ Accademia Cosentina(市立考古学博物館 Museo Civico Archeotogico)
市立劇場Teatro comunale(18世紀末の建築、第2次世界大戦後に再建)
市立図書館 Biblioteca civica
がある。
広場の南には、緑豊かな大きな庭園のある市民公園が広がっている。


カンパネッラ広場 Piazza Campanella:
パンクラツイオの丘の斜面にある旧市街と,ブセント川左岸の平野に広がる新市街の交わる場所にある。
広場の東側にそびえるサン・ドメニコS.Domenico教会は隣接の修道院とともに1448年創建されたもので,18世紀に再建されている。


大聖堂 Duomo
高台の旧市街にある。
12世紀の創建で、その後ゴシック様式に改められ,1748年以降に当時流行のバロック様式に改築された。
1950年の修復作業の際,18世紀の装飾や付加部分が取り払われて,ファサードは3つの尖頭形の扉口と中央のバラ窓,そして四つ葉形の小さなバラ窓を備えた創建当初の形に戻された。
左翼廊にはフランス国王フィリップ3世の妃で,1271年コゼンツアで没したアラゴン家のイザベラの墓廟がある。

サン・フランチェスコ・アッシジ修道院 Convento di San Francesco d'Assisi
大聖堂からセッジオ通りVia del Seggioの階段を上り、中世の香り漂う魅力的な一角を通り過ぎて右折すると、13世紀のサン・フランチェスコ・アッシジ修道院 Convento di San Francesco d'Assisiに着く。南の巽廊の裏にある礼拝堂が創建当時のものだ。
1217年に創建されたもので、教会堂と修道院からなる。
教会は17世紀半ばにバロック様式に拡張されており,ファサードは19世紀のもの,
度重なる地震で崩壊と再建を繰り返し,1943年の爆撃でも甚大な被害を被っている。


城 Castello
ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りを進み、標高383mのバンクラツィオの丘まで上っていく。
城はノルマン人によって創建され、フリードリヒ2世と、後にアンジュー家によって拡張・改築され,王宮になったが、度重なる地震で崩れたまま残っている。
ここからコゼンツァ盆地の雄大なパノラマが広がる。