人口約8,500人の小さな海辺の町。 ●サルデーニヤ島西海岸のオリスターノ湾のシニス半島突端のサン・マルコ岬 Capo S.Marcoにあり、フェニキア時代の遺跡が港に面して残っている。 ●遺跡は沿岸部の地盤が徐々に沈下したのにともなって沈み,海中に広がっている。 ●ミュケナイの商人たちも訪れていた.最古のヌラーゲ集落(紀元前1D世紀〜前5世紀)のあるこの場所にこの町を建設した(前8世紀頃)のはフェニキア人である。 ●カルタゴ全盛期には地中海支配のための海上拠点であり,とりわけ対マッサリア(マルセイユ)戦では要所だった。 これが弾みとなって交易への気運が高まり,エトルリア人(これはフッケロ 〈黒色陶器〉の破片から実証される),ギリシャ人(陶器の大半がかの地で作られていることから分かる),ローマ人,のちにはビザンチンの商人が訪れるようになった。 ●サラセン人の侵入により町はうち捨てられた。 ●すでにルネッサンスの頃にはこの廃墟は見学の対象になっており,発掘は17世紀から始まっている。 見どころ--考古学地域 Area archeologica ●カルタゴの伝統的家屋からなる町は石畳を敷いたローマ時代の道路網に沿つて広がっているが,道路の中でも地下に下水溝(上はふたでおおわれている)が1本走っているカルド・マクシムスcardomaximusがひときわ目立っている。 ●目に入るものとしては北から南の順に, --古代カルタゴの空室, --初子を捧げるための至聖所(トフエット), --帝政ローマ晴代の町の北門Porta Nord --デメテル神殿Tempio di Demetra, --水道の貯水槽, --半円形の塔の礎部があるカルタゴ時代後期の角石積みの外城壁cortina muraria, --初期キリスト教時代の洗礼堂battistero(5世紀), --ドーリア式半円柱に彫つた岩を取り巻くカルタゴ人の神殿(紀元前4〜前3世紀)。 --三方を岩を掘りぬいて作った聖域, --ローマ時代の浴場2つ.浴場のうちの一方と聖∃ハネの塔 Torre di S.Giovanniの中間にあるフェニキア神殿にかぶさるローマ神殿, --サン・マルコ岬の中腹にある地下墳墓, --古代フェニキア=カルタゴの礼拝所Sacello。 冬季9時〜14時,夏季9時〜13時と15時〜日没 (参考資料:イタリア旅行協会ガイド) |