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●ローマから西北西に約80km、ティレニア海に面した港町 ●ローマ時代からローマの主要な港となっていた。現在でも地中海を航行する大型客船はローマに港がないためここに寄港して、ローマ観光をするようになっている。またサルデニアなどへのフェリーもここから出ている。 ●港にはミケランジェロ砦と呼ばれるルネッサンス様式の頑丈な要塞が残り、この町のシンボルとなっている。によって護られている。 ●フランスの作家スタンダールは1831年にここのフランス領事に任命されており、持て余した日々に数々の作品の執筆している。「バルムの僧院」はここで書かれている。 ●この町は日本との関わりが深い。まずはそのかかわりの深いところを見るだけでローマから日帰りして訪れる価値がある。 アクセス ●鉄道; ローマ・テルミニ駅から約1時間20分、30分ごとに鈍行が出ている。 チヴィタヴェッキア行きと、ピサまでの長距離便がある。 テルミニ駅はの発着ホームは25-29番線で駅の中を約400mほど歩くので時間に余裕をもってホームへ行かないといけない。 ●バス 地下鉄A線レパント駅前からコトラル社 COTRALのバス(青色)でチヴィタヴェッキア行きがある。町の中心ヴィットリオ・エマヌエル広場まで行く。 コトラル社 (英語あり、アクセスに時間がかかる) 見どころ 日本人に必見のみどころだが、現地の人に尋ねてもほとんどわからない。 ●日本聖殉教者教会 Chiesa Francescana SS.Maria Giapponesi; 駅を出てすぐの左方向への道路Viale della Vittoriaを約5分歩くと左手にガソリンスタンドが見えてくる。そこの右前の教会。 正面祭壇の円天井部分に着物姿の聖母マリアが描かれている。 祭壇両サイドの壁に描かれているのは「日本二十六聖人」のフレスコ画。 この教会は日本の聖人を記念して建てられたもの。 慶長元年、豊臣秀吉の命により京都、大阪で捕らえられ、長崎で処刑された日本人20名、外国人6名のカトリック信者たちを描いている。 描いたのは、長谷川路可(1897-1967)で、戦災の後に1951年に再建された際にここの神父の要請を受けて、1954年、4年の歳月をかけて天井画の和装の聖母子像と聖人像、祭壇両側の壁6面の聖画を完成させた。 この功績により、1954年10月、長谷川路可はチヴィタヴェッキア市名誉市民となっている。また、1960年に、第8回菊池寛賞を受賞している。 壁画を完成彼は1967年、ローマ教皇の謁見をすることができた直後5日後の7月3日ローマで脳溢血により他界した。 ●支倉常長銅像: 教会とは反対に、幅広い海岸通りViale G.Garibaldiを城塞のある港の方向へ約15分歩く。hsb白い通りの突き当たりに広い階段がある建物が建つ。その階段を上がって上のプロムナードVia Gramsciを道なりに進むと左手の小さな広場に銅像が建つ。傍らには遣欧使節団のたどった航路が金属プレートに記されている。 港から町の方へ歩く高いところになる。 仙台藩士だった支倉常長は、1613年、伊達政宗の命を受け、通商を目的とした遣欧使節団を率いて出発。太平洋を渡り、途中スペインで洗礼を受けた常長は、1615年にチヴィタヴェッキアに上陸。ローマを訪れ、教皇パウロ5世との謁見を果たしたものの、本来の目的である通商交渉は決裂。失意のうちに8年間の旅を終え太平洋を再び渡って帰国の途に就いた。帰国した常長を待っていたのはキリシタン弾圧という非業の死でした。 チヴィタヴェッキアは支倉常長率いる遣欧使節団出発した地である石巻市と姉妹都市となっている。 |