(ぶらりベネチア 1・フォトギャラリーPhoto)
 (ぶらりベネチア 2・フォトギャラリーPhoto)
(フォトギャラリー#1)
(フォトギャラリー#2)
(カーニバル・フォトギャラリー)
ヴェネト州 州都
イタリア北部アドリア海の一番奥になる。
ミラノから267km、ボローニャから152km、ローマから528km。
ヴェネチアの町の仕組み
世界中の人の憧れの地、誰もが一度は訪れたいと思わせる町だが、行ったことのない人にこの町がどういう仕掛けになっているのか理解するまでは大変苦労する。
ましてや夜間暗くなって空港に到着しようものなら、大きな荷物を携えてどうしていいやらわからなくなってしまう。
ヴェネチアは車が走っていない都市である。混雑緩和のために車の乗り入れを規制している町は他にも多くあるが、ここは街の構造上車が町へ入ることができない。
ヴェネチアそのものが島で、交通機関は島を網羅している水路だけ。
人々の歩く細い道には車は一切乗り入れできない。
117の島が400の橋で繋がっている。水路の向こう側に行こうにも、橋のところまで行かないと渡れない。
水上交通が中心であるため、建物のエントランスは水路につくられている桟橋で、荷物の搬出入も船から直接行う。
島を本土とは一本の道路と鉄道線路だけで、島への入口に終着のサンタルチア駅があり、道路の突き当たりはローマ広場で行き止まり。隣接して大きな駐車場ビルがあり、車での旅行者はこのパーキングに車を預けて、荷物を持って船乗り場へ向かう。水上バスとモーターボートのタクシーがある。
写真で見るゴンドラは遊覧用で、目的地へ急ぐ時に利用するものではない。人々の往来する道路はいずれも狭く、一人ずつがすれ違いがやっとというところもある。水路を渡る橋のほとんどが階段状の太鼓橋で車椅子には両側で持ち上げないと渡れない。
 アドリア海を利用して海運国として栄えたヴェネチアは内陸側より外洋に面した方が中心地となっており、サンマルコ広場というこの島では考えられないほどの大きな広場がその表玄関だった。ここに守護聖人サンマルコの大寺院、議会場や裁判所として使われたドカーレ宮などが建てられている。すべての旅行者は必ずここに来るし、観光の見どころもこの周辺に集まっている。夏の7〜8月のピークシーズンはこの広場を観光客がうめ尽すほどになる。まるでイベント会場のようだ。この広場へ出入りする細い道路はしばしば人間で詰まってしまう。しかしこれも9月半ばまでで、秋から急に人の数が減少し、落ち着いた風情に戻る。例外的に2月のカーニバルのシーズンの約1週間は夏と同じ混雑となり、特に週末は激しい状況になる。


どうしてヴェネチアはこうなったのか
ヴェネチアの背後のイタリア本土内陸部には昔、ムーア人が漁業を中心に生活をしていたが、北のゲルマン民族が侵入してきて、ローマ帝国が崩壊する頃の5世紀、ムーア人たちはアドリア海の沖の浅瀬を利用して移り住むようになった。これがヴェネチアの始まり。アドリア海沿岸地域との交易に活路を求め、だんだんと広域化し、ヴェネチアも豊かになっていき、中世には中継貿易を盛んにし、今のトルコからエーゲ海、さらに中近東へと貿易船はそのルートを拡大していった。そして都市国家としての基盤を築き上げ、海洋国家としてとして発展し、地中海側のジェノヴァと共に十字軍の遠征の基地としてさらに繁栄していった。
13〜16世紀には東地中海一帯に勢力を広げ各国との交易をさらに発展させていった。東方からの香料、シルク、宝石の交易により商人たちは巨万の富を築いていき、ヴェネチア共和国もまた豊かになっていった。財力のあるところにはまた芸術家も生まれ、チントレット、ティチアーノ、ジョルジョーネ、ベリーニなどの絵画の巨匠が出てくるようになった。マルコポーロが東方に向けて旅立ったのもこのヴェネチアからである。
しかし、年代が進むにつれてトルコやスペインといった強い国が台頭してきて地中海の制海権を奪われ、衰退をはじめるようになった。1798年にイタリアに遠征したナポレオン軍がオーストリアの属国としたことでヴェネチア共和国の独立は消滅してしまった。そして1866年にイタリア統一の中に併合されることとなった。



アクセス
空路:
国際線:EU内各都市と直行便がある。長距離便はニューヨーク(JFK)が毎日1便ある。
日本からの直行便はないが、夏季にチャーター便が運行されることもある。
国内線:ミラノ、ローマ、ナポリ、パレルモから頻繁に発着している。

空港
マルコ・ポーロ Marco Polo空港(VCE) 
島内ではなく、内陸側の海に面した位置にある。
空港のターミナルビルに隣接して水上タクシー(ヴァポレット Vapoletto)乗り場がある。
チャーターする船もここに待機する。
リムジンバスは本土側の走ってローマ広場まで行く。


鉄道;
ミラノからICで、フィレンツェからESでともに約3時間。
島の入口にあるサンタルチア Santa Lucia 駅ヘ。
ミラノやフィレンツエからの列車にはヴェネチアを経由してさらに先へ行くものがあり、それらはサンタルチア駅の一つ手前の内陸側の駅ヴェネチア・メストレ Mestre 駅からそのまま先へ進んでしまうものがある。
列車によってサンタルチア駅までいって折り返してくるものもある。
時刻表で確認が必要である。
-サンタルチア駅:
終着駅型で一番前が出口、
出るとそこには運河があり、車は一切ない。
ボーとタクシーまたは水上バス(のりばは駅出口左前)
ホテルへ直行する場合にはタクシーにした方がいい。バスは下船してからの細い通路が複雑だ。


大型クルーズの発着
●ベネチアからアドリア海、エーゲ海、地中海などへの豪華客船が就航しているが、その発着の桟橋はベネチア本島に中にある。
●サンタルチア駅の西隣のローマ広場のさらに西寄りのなる。
●本土から車でこの島へ来る場合には、道路標識はローマ広場直前に右へ行くルートをとるように誘導される。
-したがって空港や本土側メストレなどに宿泊している場合には、タクシーで桟橋まで行く。
●ベネチアに宿泊している場合には、水上タクシーで直接桟橋へ行ってもらう。
●サンタルチア駅に到着する場合も、駅前の水上タクシー乗り場から直接桟橋へ行ってもらう。
●帰路、ベネチア港に到着する際には、同時の大勢の人たちが下船するので、タクシーが不足して、移動に時間がかかる場合がある。そんな時には、ローマ広場までのバスが運行されるからこれを利用するといい。
サンタルチア駅へは橋を渡ってすぐ隣。重い荷物がある場合、この広場でポーターを呼んで荷物を駅まで運んでもらうこともできる。(kobori)


ヴェネチアの交通機関
車のない島はずべて運河を航行する船だけ。

水上バス
島の中心部をS字に走る大運河Canal Grande、さらの近隣の島までを結ぶ唯一の公共交通機関。


タクシー
最大で8人は乗れるモーターボートで各ホテルのは運河のつながっているで入口があるので、ここに発着する。スーツケースも直接ここからホテルに入る。


ゴンドラ体験
運河をゆったりロマンチックに浮かんでいるのを見ると自分たちもトライしてみたくなる。
ツアーに参加すると夜間のゴンドラツアーなどのオプショナルツアーが用意されている。何隻かが連なってアコーデオンとシンガーによるカンツォーネを楽しむというパッケージツアーもある。
ホテルフロントや町の旅行会社などではこういうパッケージツアーを申し込むこともできる。その場合は外国人観光客と相乗りになる。
夜間、ホテルまで出迎えには来てくれないので、乗船場所をしっかり確かめておくこと。冬季はサンセットが早いのでパッケジツアーの出発も早くなる。
個人で体験
ゴンドラはツアー以外は混乗のものはなく、個人で貸し切りとなる。
一隻あたり6人まで1時間おおよそ80ユーロ、1時間といっても実際は45分くらいになる。30分追加は40ユーロ程度。組合で決められているから、ボラれることもなければ値切れもしない。いくらでも需要があるからだ。夏季は非常に混雑していて、場所によってはなかなか坐臥しにくい。
ホテルに頼むとホテル入口からすぐの利用することもできる。
ゴンドラの溜まり場が随所にあるので、そこで乗船できる。


ベネチアを歩く楽しさ
終日自由に使える時間があれば、ぜひベネチアの路を歩くことをお勧めする。
半日やそこらでサンマルコ周辺だけを見て出て行ってしまうのとはベネチアの印象が全く違ってくる。
車が全く走っていないのでゆっくり安心して歩くことができる。
駅の近くや、大陸地側のメストレに滞在している場合には、駅前からリアルト橋に向けて歩く。20-40分だが、途中でカフェに立ち寄ったり、ウインドーショッピングしながら1-2時間かけて歩くと旅の時間を楽しむことができる。途中で昼食をとってもいい。
ルートは2つある。
一つはS字型にカーブしている大運河と並行している、やや広い道を歩く。リアルト橋に近づくと道が狭くなってくる。リアルト橋Ponte Realtoやサンマルコ広場 Piazza San Marcoと書かれた黄色の標識を頼りにして進む。
もう一つは、駅前の大運河にかかる半月型の大きな橋を渡ってまっすぐ進む。地図上では、駅からリアルト橋を直線で結んだ方向になる。路は左に右に曲がりながら黄色の標識を頼りに進んでいく。ベネチアらしい小路が何とも楽しい。途中には小さな運河や広場があってシャッターチャンスには事欠かない。リアルト橋に近づくと商店が多くなり、にぎやかになる。寄り道しなければ30-40分で歩けるが、路が複雑に入り組んでいて、黄色い標識を見失ったりすると少し遠回りすることになるので時間もかかる。困ったら近くに人に聞くといい。「リアルト?」といえば教えてくれる。リアルト橋手前はひときわにぎやかだ。サンマルコ広場へは橋を渡る。
リアルト橋からサンマルコ広場までは5分ほどで、年中人の往来が絶えない。
サンマルコ広場に近いところに滞在している場合には、まずはリアルト橋袂まで来て、橋を渡って、ローマ広場 Piaza Romaまたは駅Stazioneの標識を探して進む。
または橋手前で右方向に大運河と並行に進む。
途中の小さな運河にはゴンドラがひっりきなしに行き来する。だんだん道が広くなってくる。カフェやレストランが目立つようになってくる。
観光客の多くがこのルートを選択する。

カフェもレストランもサンマルコ広場周辺は高いが、途中にあるものは結構安い。
サンマルコ広場にカフェでは、夏季シーズンには楽団がミュージックを奏でているため、ミュージックチャージなるものを孵化される。これが結構高く、一人当たり6ユーロほどだ。ここは飲み物も結構高い。
滞在の長い人には、ほかのルートにもおすすめエリアが少なくない。映画の舞台になったところや古の著名人が住んでいた館なども巡ることができる。




見どころ
サンマルコ広場を中心に徒歩見学が基本だ。
ツアーでもホテルからガイドが歩いてサンマルコ広場まで連れて行く。
広場で全体のことを説明した後、ドゥカーレ宮(ドージ・パレスと呼ぶ。有料)の内部見学(60分)とサンマルコ寺院、その後ヴェネチアングラス工場(近く)の見学となる。
ホテルが駅・ローマ広場周辺の場合には水上バス(ヴァポレット)でサンマルコ広場(またはリアルト橋)まで案内されそこから徒歩見学となる。
サンマルコ広場 Piazza San Marco 
狭い路地を歩いてきてこの広場に出ると、いずこも同じように「わあっ」という感嘆の声がもれる。それほどこの広場は異様で格別なところである。水の都のヴェネチアの表玄関。サンマルコ寺院を正面にし、三方を大理石の柱廊に囲まれている。建物は昔は執行政館いわゆる官庁の建物だったが、今は事務所として使われ、1階は商店街になっている。広場の中のサンマルコ寺院に近いところには99mの鐘楼があり、見張役をしていた。サンマルコ寺院を正面に見て左手すぐ近くには時計塔がある。サマーシーズンには色鮮やかなカフェテラスの椅子がたくさん並べられ、樂士がヴァイオリンを奏でている。
サンマルコ寺院 Basilika San Marco 
町の守護聖人サンマルコを祀る。828年の創建で、967年に焼失して、11世紀に現在のものに再建された。コンスタンチノープルの寺院をモデルにし、ビザンチン様式のギリシャ十文字を使って建てられている。入口は5つの半円形のアーチを持つ。上はテラス部分になっているところに4体の青銅の馬像が並んでいる。ナポレオンがパリへ持っていってカル−ゼルの凱旋門に飾ったものを、彼の没落後取りかえした。内部は広いがサマーシーズンは満員状態になって入場が制限される。床がでこぼこしていて波打っているが、これは地盤沈下によるもの。
サンマルコ寺院内はノースリーブ、短パン、へそだしルック、男のランニングシャツやぞうりでは入れない。入口でチェックされ、追い返される。
ドカーレ宮殿 Palazzo Ducale
サンマルコ寺院の右隣りにある。ヴェネチア共和国の総督ドージェの住居(官邸)と議会場、裁判所とひとつにした建物。
各部屋の壁面や天井に描かれているのはヴェネチア派の絵画。
順路にしたがって進んでいくと監獄へ繋がる「ため息の橋」をわたる。ドカーレ宮と運河を挟んでうしろの建物になるが、ここが監獄になっていて一度この橋を渡るともう外の景色が見られないと溜息をつくのでこう言われた。「なげきの橋」ということもある。ここは外から眺めるといい。
大鐘楼 Campanile 
サンマルコ広場の中に立つ99mの塔で先端が三角屋根になっている。灯台と見張りの役をしていたが1902年に崩れ落ちて、1912年に復元されたため、レンガの色彩が鮮やかだ。特に最近修復が終わって美しさが増してきた。三角屋根の下までエレベーターで上がることができる。
l時計塔 Torre dell’Orologio 
サンマルコ寺院左手すぐ傍に立つ。14世紀に建造された塔で、搭上で毎正午に2体のムーア人の青銅像が鐘を打ち鳴らしている。
●大運河 Canal Grande 
ヴェネチアをローマ広場からサンマルコ広場までS字型をして大きく切り込んだ運河。ヴェネチアの大動脈となっている。
リアルト橋 Ponte di Realto 
S字型の大運河のほぼ中間点に架かる橋で、ヴェネチアで最も美しい。全長28mの巨大なアーチ状の橋で16世紀に木造から大理石の美しい橋になった。橋の上の両側にはぎっしりと商店が並んでいる。
ホテルが駅周辺ローマ広場近くや本土の方のメストレ Mestre の場合は、駅前の水上バス乗り場から乗ってこのリアルト橋で下船し、サンマルコ広場へ狭いが一番にぎやかという小路を歩いていくと近い。
アカデミア美術館 Galleria dell’Academia 
サンマルコ広場から離れていて、大運河に面している。大運河に掛かるアカデミア橋を渡ると正面にある。内部は24の部屋に分けられ、14〜18世紀のヴェネチア派の絵画が収集されている。
通常のヴェネチアの観光はサンマルコ広場を中心にして半日で終わっている。多くは午後-サンジョルジョ・マッジョーレ教会 San Giorgio Maggiore 
サンマルコ広場から海の向こうの対岸に見える同名の島の先端に教会と鐘楼がある。鐘楼にはエレベーターがあり(有料)塔上からのサンマルコ広場の全景はまさに絵ハガキの風景。望遠ズームがあるとよく撮れる。


周辺の島々
ヴェネチアはサンマルコ広場のある本島のほかに周辺にもいくつかの島がある。高級リゾート地としてヨーロッパの著名人たちがバカンスを過ごすリド島は本島の先に見えるところで、連絡の水上バスが頻繁に往来している。その他、ヴェネチアングラスの工場のあるムラノ島、レース編みで知られるブラノ島などが観光客に人気のある島である。
リド島 Lido
ヴェネチア本島をアドリア海の大海から防波堤のように守っているような細長い島。ヨーロッパの中でも屈指の高級リゾートで、アドリア海の方に面している。ビーチは多くがプライベートビーチで、柵で区切られている。ビーチ沿いには着替え用の小屋が建ち並ぶ。サマーシーズン中は市営のカジノも営業している。バカンスのピークを除くと案外ホテルも取りやすいところだ。サンマルコ広場からの水上バス(ヴァポレット)も頻繁に往復している。
ムラノ島 Murano
本島の北1.5kmにある5つの小さな島からなる。
中世には貴族の別荘のあったところだったが、ヴェネチアが東方との貿易を盛んにしてガラス製品の技術がもたらされて、技術が他に漏れることを恐れて職人たちをこの島に閉じ込めてしまった。そのグラスの美しさはヨーロッパの人たちを魅了し、ヴェネチアに巨大な富をもたらした。その当時の技法で今でも工場がガラス製品を作り続けている。
(アクセス)
サンマルコ広場から定期船(ヴァポレット)がでている。ムラノ〜トルチェッロTorcello〜ブラノBuranoと巡回する。
(注意)
サンマルコ広場で「ムラノ島へ行ってみないか」と声をかけてくるお兄さんがいる。ホテルのコンシェルジェも同じように誘いをかける。「往復無料のボートがあるからどうぞ」と言ってガラス工場見学に行き、ショッピングさせるのが目的。帰りのボートをなかなか出してくれない。貴重な時間を無駄に使いたくなかったら絶対に話にのらないことだ。
ブラノ島 Burano
カラフルなペンキで塗られた家並みを眺めながらの散策がいい。街の喧騒もなく静かで落ち着く。レース編みが有名で、みやげ物店にもたくさん並べられている。16〜17世紀には、ヨーロッパ各地に「ヴェネチアンレース」として大いに売りまくった。
トルチェッロ島 Torcello


ベニス・カーニバル
日本語で「謝肉祭」と訳しているカーニバルは、カトリックの国では大切な宗教的祭事の一つである。復活祭(イースター)は毎年決まった日ではないが、大体3月下旬から4月の間になっている。それから数えて40日前まで肉を食べてはいけないという習慣があり、その期間に入る前に思いきってドンちゃん騒ぎをしようというのが始まりで、カトリックの国では3月から1週間ほど続く。
ヴェネチアは2月中旬のオフシーズンの観光客誘致に考え出したイベントで、誰でもが気軽に仮面をつけて参加できるのが受けて大当たりをし、ヨーロッパ中から大勢の人たちが訪れる。ヴェネチアのおみやげ店にもいろいろ売っているが、訪れる人々は思い思いの仮面をかぶり、顔にペインティングして変装をし、サンマルコ広場に集まる。仮面だけでなく、衣装にも凝っている。黒マントやら貴族のコスチュームを仲間数人で扮装する。仮面(マスケラ)をつけることの楽しさを覚え、毎年、カーニバルを楽しみにヴェネチアへやって来る旅行者が多く、まさにやみつきになってしまっている。別に華やかなパレードなどはないが、特設ステージを作ってコンテストなどが行われている。
カーニバル・フォトギャラリー)ご覧ください。


ホテル事情
ヴェネチア本島とボートで駅前から約30分(サンマルコ広場からは15分)の沖のリド島Lidoに分かれる。さらに本土側のメストレMestreにも収容能力のあるホテルがいくつかある。
映画祭をはじめイベントも多いベネチアは期間中の島の中のホテルはほとんど確保できない。
2月中旬のカーニバルシーズンも確保が難しい。
いずれも少し離れた地域に取らなくてはいけないようになる。
ヴェネチア本島
水上の限られたスペースには新たにホテルを建てる余地など全くない。沈没しつつある町で改築すら許されない。したがってどのホテルも小さくて狭く、部屋数も少ない。
そんな狭い部屋でも宿泊料は決して安くない。この島でリーズナブルな料金のところを探すのはほとんど不可能だ。
夏期は早くから満室状態になっており、現地で探すのは非常に難しい。
リド島 Lido
サンマルコ広場の沖にあるリゾートアイランドで、バカンス客が中心となっている高級ホテルが多い。
冬季は高級ホテルは休業しているが、中級以下は営業しているので、本島より取りやすい。水上バスで本島のサンマルコ広場まで約30分。バスは比較的頻繁に遅くまで発着している
メストレMestre地区
イベントやコンベンションのシーズンには島内には全く部屋がとれない。こういう場合はヴェネチアの島ではなく陸地側のメストレのホテは比較的取りやすい。
本島までは列車またはバスがある。
手配されることがある。バスでの移動のツアーの場合にはたいへん便利だが、ヴェネチア観光するときにはサンマルコ広場までアクセスは駅前やローマ広場から水上バス利用。時間がかかる。


旅人が訪れてみたくなるスポット
ハリースバーHarry's Bar
Calle Vallaresso 1323,San Marco<BR>
サンマルコ広場から海辺に出て海に向かって右に折れ、右手を進み、海沿いに100mあまり歩く。水上バスの乗り場があるが、2か所の奥の方の乗り場のそばになる。
ヘミング・ウエイ、オーソン・ウェルズ、トルーマン・カポーティなど、いにしえの作家たちがベニス滞在中にここのバーでカクテルを味わいながら時を過ごした。<BR>
ヘミングウエイの小説にもたびたび登場するところだ。
レストランの方はワインぬきで最低100ユーロは覚悟した方がいい。
ヘミングウエイがここで愛飲していたカクテルが、「ベリーニ Bellini}。
桃のジュースに、ベネト州で産する発泡性の白ワイン、プロセッコを注ぐ甘みのあるカクテルである。
このバーを訪れる多くの観光客が必ずと言っていいほど「ベリーニ」を注文している。