(フリウリ・ヴェネチア・ジューリア州ゴリツィア県都)
人口:約4万5000人
●イタリア東端のトリエステの北約50kmのスロベニアとの国境に接している町。
●歴史的には長い間オーストリア・ハプスブルグ家の支配を受けていた地であったため、町には19世紀のオーストリア風の建物がいくつか建っている。
●第1次世界大戦では、イタリア軍とオーストリア・ハンガリーが長い間激しい戦闘を繰り返したのちにイタリアの一部になった。
●第二次世界大戦後の1947年、当時のユーゴスラウイア,現スロヴェニアとの国境線が町の近郊の道路上に敷かれるに至り、ゴリツイアの大半がイタリア側に残り、新たに国境の向こう側に造られた町ノーヴァ・ゴリカNova Goricaが建設された。
●EUに統合されている現在はイタリア側の町の中を隣のスロベニアのGOナンバーの車がたくさん走っている。
●住民の大半がイタリア語とスロヴェニア語を話し、道路標識も多くが2ヵ国語で表示されている。
●イゾンツォ川Isonzoが流れ、周辺はイタリアでも有数の白ワインの産地である。
●イタリアのラテン的気質と東欧のスラヴの2つの世界の接点に位置しながら、ゲルマン的なオーストリアの支配を受けてきたため、独特な雰囲気が感じられる町となっている。


アクセス
鉄道
トリエステTrieste CentraleとウーディネUdineを結ぶ線で、トリエステから約45分。ほぼ30分間隔
駅は、市の中心部の南西1kmに位置する。

バス
鉄道同様にあるが、ほかにノーヴァ・ゴリカへの直通もある。
ノーヴア・ゴリカからはスロヴュニア各都市へバスが出ている。
バスターミナルは、8月9日通りVia IX Agostoにある。


見どころ
カステッロ地区 Borgo Castello
全体は丘の上から旧市街を見下ろす高台にある。
城壁の中に古城部分とBorgoの町と博物館,鐘楼,ゴシヅク様式のサント・スビリト小教会chiesetta di S.Spiritoなどからなる。
城壁への入口はレオポルデイーナ門Porta Leopoldina。
城は第一次世界大戦で大きな被害を受けたが、1920年に復元された。
ドゥオモ Duomo:
14世紀に建てられたが第1次世界大戦の被害に遭い,1920年代の終わりに再建された。
ヴイツトリア広場 Piazza della Vittoria:
城の丘のふもとの大きな広場で、この町の中心的存在となっている。
広場中央には,疫病平癒祈願のためのミサを記念した聖イグナツイオの円柱coloma di S.Ignazio(1640−88年)が立つ。
サンティニヤツィオ教会Sant−1gnazio。
ヴイツトリア広場に面した最も目立つ玉ねぎ形のドームを持つバロック様式の教会、
そばにニコロ・バカツシNicolo Pacassiの設計した18世紀のネプチューンの泉fontanadiNettunoがある。
県立大戦博物館 Museo provinciale della Grande Guerra
第1次世界大戦の資料や遺品が集められている。


周辺の見どころ
第1次世界大戦に因む記念碑や記念建造物が点在している。
オスラヴイアの兵士記念堂Sacrario militare diOslavia
北へ4.5km。
小要塞のように見える記念建造物,円形の納骨堂Ossarioには,イソンツォの各墓地から集められた戦没者約6万人の遺体が安置されている。
周囲のテラスからはイゾンツォ川流域と,第1次世界大戦のコリツイア防衛の北の拠点,サボティーノ山monte Sabotino(標高609m)が見渡せる。
カルヴァリオ(ポドゴラ)山 Monte Calvario/Podgora
西へ5.5km。
戦没者への追悼のオベリスクと碑がある。見晴らしがいい。
サン・ミケーレ山 Monte S.Michele
標高276m
南西方向16kmいくと,第1次せ界大戦時のコリツイア防衛の南の拠点サン・ミケーレの聖域zona sacraに着く。広場には,記念像や記念碑の建つ。近くに博物館もある。