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概要
人口1万3400人
サン・ジミニヤーノの南西10kmの高い岩山の台地に位置する。
あたりを取り巻くエーラEra川とチェーチナCecina川渓谷の間の,なだらかな丘陵の中心の高地の上にひときわ高くそびえて人を寄せつけないような厳しい中世の城壁がしっかり残る。
穏やかな緑の風景とは対照的な白亜の丘は陽に照らさてるとひときわ映える.
この町はエトルリア人の頃から長い間、大理石の一種のアラバスターの産業で栄えてきた谷間にかかるアラバスターの工房がある道筋は,何もかもが細かい白亜の紛に覆われている。
エトルリア人の昔から,骨壷を作るのにアラバスターは使われていた。
現在クァルナッチ博物館に収集されている骨壷などに当時の様子を見ることができる。

エトルリア人時代からローマ人の支配下になってもこのあたりは重要な交易の中心だった。

フィレンツェとの長い確執が12世紀に始まり、メデイチ家がフィレンツェを掌握する15世紀まで続いた。

町はあまり飾り気がなく,こぢんまりとまとまった中世の姿のままで,誇り高い瓦ぶきの屋根の建造物が建ちが広がっている。


アクセス
鉄道よりバスの方が便利だ。
バス
ピサから約2時間。1日約10便ある。
フィレンツェからはコッレ・ディ・ヴァル・デルザで乗り換え約2時間、一日4本ある。

この周辺を巡る場合には、
サリーネまたはコッレ・ディ・ヴァル・デルザで乗り換え
シエナへは約1時間30分、1日4便。
サン・ジミニヤーノ1時間30分、1日4便、
バスはマルティリ デッラ リベルタ広場piazza Martiri della Libertaから出る


旧市街地
城壁の中は、車を乗り入れることも、駐車することも禁止されている。
主な通りはすべて町の中央のプリオリ広場 Piazza dei Prioriに通じている。
プリオリ広場 Piazza dei Priori

プリオリ広場の周囲には、飾り気のない中世の館が並んでいる。
13世紀のプリオリ館 Palazzo dei Prioriは、地方政府の建物としてはトスカーナ最古のもので、フィレンツェのヴェッキオ宮殿のモデルになったといわれている。


見どころ
大聖堂 Duomo
プリオリ館の裏手、トゥラッツァ通りVia Turazzaにあるサン・ジョヴァンニ広場piazza S.Giovanniに面する。
12〜13世紀にかけてロマネスク様式で建てられたもの。
簡素なファサードは幾何学模様の装飾のある大理石の大扉と,ティンパヌム部の開口部のないアーチで飾られている。

大聖堂に隣接して、司教区宗教美術館 Museo Diocesano d'Arte Sacraがある。
Palazzo Vescovile,Via Roma 13
入場券は市立絵画館とグアルナッチ・エトルリア博物館共通で6.20eur。
祭服や黄金の聖骨箱、アンドレア・デッラ ロッビアやロッソ・フィオレンティーノの作品などがある。
大聖堂の向かいには、アンドレア・サンソヴィーノによる13世紀の洗礼堂8attisteroがある。

グアルナッチ・エトルリア博物館 Museo Etrusco Guarnacci
展示されているものは、すべてこの地で出土したもの。アラバスターや凝灰岩、その他の材料に彫刻を施した600もの骨壷のコレクション。
これらの骨壷は、浅浮き彫りによって描かれたテーマや、作成されたと思われる年代ごとに展示されている。特に優れたもの(比較的新しい時期のもの)は、3〜4階(イタリアの2〜3階)にある。

古代ローマの劇場Teatro Romano
市の北のはずれ、ケァルナ、ソチ通り外側の突き当たりにあり,保存状態がよく、古代ローマの浴場跡も見られる。
悪天候のときは閉鎖。
ルンコ・レ・ムーラ・デル・マンドルロ通りvia Lungo Le Mura del Mandorloからもよ<見える。


周辺
パルツェ Balze
市のサン・ブランチェスコ門から北西に2kmほど歩く.
侵食によってできた深い地溝。
中世以降いくつもの教会がこの溝に崩落してしまった。
現在も崖の上に14世紀に建てられた修道院が残っているが、いつ地溝に飲み込まれるかわからない状態にある。

パルツェは砂地の層と泥炭質の粘土層からなる土壌が広範囲にわたって地滑りしたためにできた,いくつもの地溝からなる広大な切り立つた谷である。ゆるやかではあるが,食い止めることもできない不断の侵食である。


モンテカティー=・ヴアル・デイ・チェーチナ Montecatini Val di Cecina
市から16km西の保養地で,ラ・クローチエLa Croceの丘の東斜面にある。
この中世の町には,砦の一部であった、基礎が白と黒の横縞になっている高い塔(12世紀)が残っている。