概要 人口1万5千人 ザグレブから250km イストニア半島の西岸に位置する。 アドリア海沿岸に浮かんだ美しい港町。 中世の雰囲気を残した歴史ある町で、人気のリゾート地として一年中賑わっている。 ベネチア共和国時代の城塞を残し、海からの眺めが特に特の美しいとされている。 元々小さな島だった。 今から250年前に海峡を埋めて今の町となった。 岸辺すれすれまで建物で埋め尽くされた町になったのは、ヨーロッパでペストが大流行し、人々が小さな島へ逃げ込んだことに始まる。その後徐々に人口が増え、住む場所もなくなり、遂には岩壁すれすれまで家を建てるようになった。 ヨーロッパのペストは長い間大流行と小流行を繰り返し、中でも1347年-1354年まで続いた大流行で、全人口の3割、約430万人が命を落としたと言えわれている。 ロヴィニはヴェネチア共和国の支配下に置かれていた約500年間、その影響をたくさん受けた町であった。 当時の面影を残す一つが、バルビンの門、もともと島の周囲には城壁があり、紋の奥は旧市街となっている。門の上には、ヴェネチアの守護聖人聖マルコのシンボル翼をもつライオン像が刻まれている。 この町はヴェネチアの面影を残すことから、別名「リトルヴェニス」と呼ばれている。 ロヴィニの石畳の道もまた500年の時を超え、当時の面影を残していて、今も歴史の重みを感じることができる。石灰石の石畳は、長い歴史の間に行きかう多くの人々によって磨かれ、そして今では美しい光沢を放つようになている。 アドリア海の町はどこも同じように、この町も旧市街の道は狭く入り組んでいる。何度も敵の攻撃を受けてきたため、道幅を狭く複雑に入り組んだ路地を作り、敵の攻撃を困難にして町を守った。 周囲を海に囲まれているため、海からの強い風が吹きつける。入り組んだ道のすることで、風を分散させて被害を押えるようにしていた。 旧市街のどの道も丘の上につながっている ロヴィニは、アドリア海に面した漁師町。温暖な気候と豊富な漁場と魚貝に恵まれ、昔から行業を中心に栄えてきた。しかし、農業も盛んで、高級食材のトリフなどヨーロッパ中が注目する食材が豊富である。 イストリア地方はトリフの名産地で、朝市などでも瓶詰めにした塩漬けやオリーブオイル漬けの刻みトリフなどが普通に売られている。 イタリアで消費される白トリフの70%以上は実はクロアチア産だという。 ロビニへのアクセス バス プーラから約40分、 イタリア・トリエステから3時間。<BR> 船 プーラとボレッチから夏だけボートツアーがある。 ロヴィニの見どころ 聖エウフェミア教会 9世紀に建てられた町のシンボル。 ロヴィニで一番大きい歴史ある建物である。 時代の流れとともに、少しずつ増築され、現在のバロック様式となった。 一見、外観は質素に見えるが、内部は豪華で気品に満ち溢れている。それでいて重圧感を感じさせないで、広く人々を受け入れる建物になっている。 祭壇の内側には、教会の名前にもなっている聖エウフェミアの像が置かれている。 幼いころからキリスト教の教育を受けたエウフェミアは迫害を受け、ライオンのいる前に放り込まれて処刑された。殉教した15歳の少女である。 祭壇の奥にある1883年に描かれた絵画にも、その場面が描かれている。その前のエウフェミアのミイラの入った石棺が置かれている。 10世紀、彼女の遺体の入った石棺を乗せた船が座礁し、ロヴィニに漂着したとされる。 それ以来、エウフェミアはロヴィニの守り神として崇められるようになった。 毎年9月16日に1回だけ石棺を公開している。 教会中央の祭壇に祀られている、3体の大理石の聖人像は、 *中央の像:聖ゲルギオス(騎手の守護聖人 230-340年) 人間を生贄にしていた龍を退治した古代ローマの殉教者。 *左側:聖マルコ(ヴェネチアの守護聖人 60年頃) 新約聖書の「マルコによる福音書」の著者 *右側:聖ロコ(1285-1327年) 巡礼で疫病を治した伝染病除けの守護聖人。 ここに祀られている守護聖人たちは、今もなおそれぞれの守護聖人として町を守り続けている。 教会の横にある、高さ40mの鐘楼の先端には、高さ4m、重さ600kgもある聖エウフェミア像が立っている。風見鶏のように風向きによって像の向きが変わるようになっている。地元の漁師たちは、漁に出るときそれを指標にしている。海の方向を向いているときは無事に帰れるという。 時計塔 海岸に面した建つ。 ヴェネチア統治時代に検疫所として利用されていた。 ヴェネチアの守護聖人、有翼の獅子はこの建物にも刻まれている。 ホテル この町にはたくさんのホテルがある。観光客が訪れやすい町である。 旧市街地にあるのは古くて、部屋数のそんなに多くない。 アドリアティックホテル 1913年開業、この町再婚老舗ホテル。 |